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冬草のかれにし人の今さらに
雪踏み分けて見えんものかは

歌の意味
冬草が枯れるように、離れていってしまった人が、今さら雪を踏み分けて姿を見せることなどあろうか、ありはしない。
鑑賞
巻第六 冬歌 681

詞書は前の歌に続き「題しらず」
 雪を詠む一連の二十五首目である。冬草が枯れるように離れていった人が、今さら雪を踏み分けて訪ねてくることなどあるまいと詠む。詞書は前歌から続き題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
 作者は丹後掾を務めたことから曾丹後、曾丹と呼ばれた。百首歌を早くに詠んだ歌人として知られる。
 場面は雪の積もった冬、場所は人の訪れの絶えた住まいである。
 直接の契機は伝わらない。

 初句「冬草の」は、冬の草が枯れることから、二句の「かれ」を導く。
 二句「かれにし人の」の「かれ」には、草が「枯れ」る意と、人が「離れ」る意が掛けられている。「に」は完了、「し」は過去の助動詞である。
 三句「今さらに」は、今になって改めて、の意である。
 四句「雪踏み分けて」は、雪を踏み分けて、の意である。本巻の第六百六十五首の「雪かき分けて」と同じく、雪を分けて訪れる姿をいう。
 結句「見えんものかは」は、姿を見せることなどあろうか、の意で、「かは」は反語を表す。通って来なくなった人が雪の中をわざわざ訪ねてくるはずもないという諦めを、冬草の枯れと雪とに託して詠んでいる。前歌までの人の訪れを思う雪の歌に続き、訪れの望みを自ら打ち消す歌である。

かる:草が枯れる意と、人が離れて疎遠になる意を掛ける
ふみわく:踏み分ける
みゆ:人に姿を見せる、訪れる
作者
曾禰好忠
出典
新古今和歌集
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