年の明けて浮世の夢の覚むべくは
暮るとも今日は厭はざらまし
- 歌の意味
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年が明けることで、このつらい世の夢が覚めるものならば、年が暮れようとも、今日という日を厭いはしないだろうに。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 699
詞書は前の歌に続き「題しらず」
歳暮を詠む一連の九首目である。年が明けることでこのつらい世の夢が覚めるのならば、年の暮れる今日を厭いはしないだろうにと詠む。詞書は前歌から続き題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者は関白藤原忠通の子で、天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。
場面は年の暮れの日、場所は明示されていない。
直接の契機は伝わらない。
初句「年の明けて」は、年が明けて、の意で、六音の字余りである。
二句「浮世の夢の」は、つらく定めないこの世という夢の、の意である。仏教の考えに立ち、この世を迷いの夢とみなしている。
三句「覚むべくは」は、覚めるはずであるならば、の意で、「べく」は当然の助動詞「べし」の連用形、「は」は仮定を表す。
四句「暮るとも今日は」は、年が暮れようとも今日という日は、の意である。
結句「厭はざらまし」は、厭いはしないだろうに、の意で、「まし」は反実仮想の助動詞である。年が改まっても迷いの世の夢は覚めないという現実を前提に、もし覚めるのならば年の暮れを嫌いはしないのにと、年の暮れを惜しむ通念に対して、仏道の立場から理屈を差し向けている。前歌が年の残り一夜を惜しむように詠んだのに続き、この歌は年の改まりに迷いからの目覚めを重ねている。
うきよ:つらく定めないこの世
いとふ:嫌う、避ける
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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