朝ごとの閼伽井の水に年暮れて
我が世のほどのくまれぬるかな
- 歌の意味
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毎朝仏に供える閼伽井の水を汲むうちに年も暮れて、その水とともに、我が命の残りのほども汲み量られてしまったことよ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 700
詞書は前の歌に続き「題しらず」
歳暮を詠む一連の十首目である。毎朝閼伽井の水を汲むうちに年が暮れ、その水とともに我が命の残りのほども汲み量られてしまったと詠む。詞書は前歌から続き題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者は権律師の位にあった僧である。「権律師」は僧綱の一つである律師に準じる僧官である。
場面は年の暮れ、場所は閼伽井のある寺である。
直接の契機は伝わらない。
初句「朝ごとの」は、毎朝の、の意で、二句の「閼伽井」にかかる。
二句「閼伽井の水に」の「閼伽井」は、仏に供える水を汲む井戸をいう。毎朝の勤行に水を汲むことを示す。
三句「年暮れて」は、年が暮れて、の意である。
四句「我が世のほどの」は、自分の生涯の残りのほどが、の意である。
結句「くまれぬるかな」の「くま」には、水を「汲む」意と、推し量る意の「酌む」が掛けられている。「れ」は自発の助動詞「る」の連用形、「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形で、「かな」は詠嘆の終助詞である。毎朝水を汲むたびに日々が過ぎ、その積み重ねによって自らの命の残りのほどが推し量られるようになったという、僧の日常の勤行に託した年の暮れの感慨を詠んでいる。前歌の仏道の立場からの年の暮れに続き、僧の日々の営みの中に年の暮れを見いだしている。
あかゐ:仏に供える水を汲む井戸
くむ:水を汲む意と、推し量る意を掛ける
- 作者
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隆聖
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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