急がれぬ年の暮こそあはれなれ
昔はよそに聞きし春かは
- 歌の意味
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新しい年を待つ心も起こらず、支度に急ぐ気にもなれない年の暮れこそ、しみじみと悲しい。昔は、来る春をよそごとのように聞いたことがあっただろうか、いや、心待ちにしたものだ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 701
詞書「百首歌奉りし時」
歳暮を詠む一連の十一首目である。老いた今は新しい春を迎える支度にも心の急がない年の暮れがしみじみと悲しく、昔は来る春をよそごとに聞いたことなどなかったと詠む。詞書によれば、百首歌を奉った時の歌である。
作者は内大臣藤原公教の子で、左大臣に至り、のちに出家した。
場面は年の暮れ、場所は明示されていない。
直接の契機は百首歌の詠進である。詞書には、どの催しでの百首であるかは記されていない。
初句「急がれぬ」は、自然と急ぐ気にもなれない、の意で、「れ」は自発の助動詞「る」の未然形、「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形である。年の暮れは本来、新年の支度に急ぐ時であることが前提となっている。
二句「年の暮こそ」の「こそ」は係助詞で、三句の已然形「なれ」と呼応する。
三句「あはれなれ」は、しみじみと悲しい、の意で、係助詞「こそ」を受けて已然形で結ぶ係り結びである。ここで切れる三句切れである。
四句「昔はよそに」は、昔はよそごととして、の意である。
結句「聞きし春かは」は、聞いた春であっただろうか、いや、そうではない、の意で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形、「かは」は反語を表す。若い頃は新しい春の訪れを心待ちにしたのに、老いた今は春を迎える支度にも心が動かないという、昔と今の心の違いを詠んでいる。前歌が僧の日々の勤行に年の暮れを見いだしたのに対し、この歌は来る春を待つ心の衰えに年の暮れの悲しみを見いだしており、本巻の第六百九十四首が来る年に目を向けたのとも呼応している。
いそぐ:急いで支度をする
- 作者
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三条実房
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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