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老いの波越えける身こそあはれなれ
今年も今はすゑの松山

歌の意味
老いの波を幾度も越えてきた我が身こそ、しみじみと悲しい。今年もいまはもう末となった、末の松山を波が越えるように。
鑑賞
巻第六 冬歌 705

詞書は前の歌に続き「土御門内大臣家にて海辺歳暮といへる心をよめる」
 歳暮を詠む一連の十五首目である。老いの波を幾度も越えてきた我が身こそしみじみと悲しく、今年もいまは末となったと詠む。詞書は前歌から続き、同じ土御門内大臣源通親の家で「海辺歳暮」の題で詠んだ歌である。
 作者は俗名を藤原定長といい、藤原俊成の甥で、その養子となったが、のちに出家した。『新古今和歌集』の撰者に選ばれたが、撰進の完了を待たずに没した。
 場面は年の暮れ、場所は陸奥国の末の松山である。
 直接の契機は、前歌と同じく、土御門内大臣源通親の家での「海辺歳暮」の題による詠である。
 「末の松山」を波が越えるという表現は、『古今和歌集』の東歌「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」を踏まえている。

 初句「老いの波」は、年老いることを、寄せては重なる波にたとえた語である。題の「海辺」に通じる語として置かれている。
 二句「越えける身こそ」は、老いの波を越えてきた我が身こそ、の意で、「ける」は過去の助動詞「けり」の連体形、「こそ」は係助詞である。
 三句「あはれなれ」は、しみじみと悲しい、の意で、係助詞「こそ」を受けて已然形で結ぶ係り結びである。ここで切れる三句切れである。
 四句「今年も今は」は、今年もいまはもう、の意である。
 結句「すゑの松山」は、陸奥国の歌枕で、今の宮城県多賀城市のあたりにあった末の松山をいう。「すゑ」には、年の「末」の意と、地名の「末の松山」が掛けられている。古今集の東歌では、決して波の越えない山として心変わりのないことを誓う景物であったが、この歌では、老いの波を越えてきた身に、今年もまた年の末が来たことを示す景物として用いられている。前歌と同じ題の海辺の歳暮の歌で、前歌の雄島の波から末の松山を越える波へと続き、巻末の第七百六首の直前に置かれている。

おいのなみ:年老いることを波にたとえた語
すゑ:年の末の意と、地名の末の松山の「末」を掛ける
作者
寂蓮
出典
新古今和歌集
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