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今日ごとに今日や限りと惜しめども
またも今年に逢ひにけるかな

歌の意味
毎年、この年の暮れの今日という日を迎えるたびに、今日が最後であろうかと惜しんできたけれども、またも今年の暮れに逢ったことよ。
鑑賞
巻第六 冬歌 706

詞書「千五百番歌合に」
 歳暮を詠む一連の十六首目で、冬歌の巻末歌である。年の暮れの今日を迎えるたびに、今日が生涯の最後かと惜しんできたが、またも今年の暮れに逢ったと詠む。詞書によれば、千五百番歌合で詠まれた歌である。
 作者は権中納言藤原俊忠の子で、正三位皇太后宮大夫に至り、出家して釈阿と号した。『千載和歌集』を撰進し、藤原定家の父である。
 場面は年の暮れの最後の日、場所は明示されていない。
 直接の契機は、後鳥羽院が建仁元年(1201)に歌人たちに百首歌を召し、それを番えた千五百番歌合での詠である。

 初句「今日ごとに」は、毎年の年の暮れの今日という日ごとに、の意である。
 二句「今日や限りと」は、今日が最後であろうかと、の意で、「や」は疑問の係助詞である。年の暮れの一日を、自らの命の限りと重ねて思う心を示す。
 三句「惜しめども」は、惜しんできたけれども、の意で、「ども」は逆接の接続助詞である。
 四句「またも今年に」は、またも今年の暮れに、の意である。
 結句「逢ひにけるかな」は、逢ってしまったことだ、の意で、「に」は完了、「ける」は詠嘆の助動詞「けり」の連体形、「かな」は詠嘆の終助詞である。年ごとに今年が最後かと思いつつ、なお生き長らえて年の暮れを迎えたという、老いの身の感慨と、生き長らえたことへの静かな驚きを詠んでいる。冬歌の巻末に置かれ、巻頭の第五百五十一首が同じ千五百番歌合で秋との別れを惜しんで冬の到来を知ったのに対し、この歌は年との別れを惜しんで冬の終わりを迎えており、惜しむ心によって巻の始めと終わりとが呼応している。本巻の第六百九十一首から続いた歳暮の一連も、この歌によって結ばれている。

をしむ:名残を惜しむ
作者
藤原俊成
出典
新古今和歌集
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