君が代にあふべき春の多ければ
散るとも桜あくまでぞ見ん
- 歌の意味
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君の御代に巡りあうはずの春は多いのだから、たとえ散ろうとも、桜を心ゆくまで見よう。
- 鑑賞
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巻第七 賀歌 713
詞書「祐子内親王家にて桜を」
桜に寄せて君が代を祝う歌である。君の御代に迎える春は多いので、散っても心ゆくまで桜を見ようと詠む。詞書によれば、祐子内親王の邸で桜を題として詠まれた。
作者は源師房で、具平親王の子である。藤原頼通の猶子となり、右大臣に至った。
場面は春の桜の盛りから散るころ、場所は祐子内親王の邸である。
直接の契機は、祐子内親王家での「桜」の題による詠である。祐子内親王は後朱雀天皇の皇女である。
初句「君が代に」は、君の御代に、の意である。祝う相手の治世の長さが前提となる。
二句「あふべき春の」は、巡りあうはずの春の、の意で、「べき」は当然の推量を表す。これから迎える春が数多くあることを見越している。
三句「多ければ」は、多いので、の意で、「ば」は已然形に付いて原因や理由を表す。春が多いことが結句の「あくまでぞ見ん」の理由となる。
四句「散るとも桜」は、散ろうとも桜を、の意で、「とも」は逆接の仮定を表す。花の散ることを惜しむ通念を、君の御代の春の多さによって打ち消している。
結句「あくまでぞ見ん」の「ぞ」は強意の係助詞で、意志の「ん」の連体形で結ぶ係り結びである。本巻の第七百十一首の若菜摘みに続き、春の景物である桜に君が代の長さを重ねる。
あふ:その時に巡りあう
あく:十分に満ち足りる
- 作者
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源師房
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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