山人の折る袖匂ふ菊の露
うち払ふにも千代は経ぬべし
- 歌の意味
-
山人が菊を手折る、その袖に香る菊の露よ。それを払い落とすわずかな間にも、千年はきっと過ぎてしまうだろう。
- 鑑賞
-
巻第七 賀歌 719
詞書「文治六年女御入内屏風に」
菊を詠む一連の三首目である。山人が菊を折る袖に香る露を払うわずかな間にも、千年が過ぎるだろうと詠む。詞書によれば、文治六年の女御入内の屏風に添えた歌である。
作者は藤原定家の父で、『千載和歌集』を撰進した。皇太后宮大夫を務めた。
場面は菊の咲く秋、場所は屏風絵に描かれた、山人が菊を折る山中である。
直接の契機は、文治六年(1190)正月、九条兼実の娘藤原任子が後鳥羽天皇の女御として入内した際に調えられた屏風に添える歌である。
同じ趣向の先例に、『古今和歌集』秋歌下の素性法師の歌「濡れて干す山路の菊の露の間にいつか千歳を我は経にけむ」があり、菊の露に触れるわずかな間に千年を経るという発想を共有する。
初句「山人の」は、山に住む人の、の意で、仙人をいう場合もある。菊の咲く山中の、仙境めいた人物が示される。
二句「折る袖匂ふ」は、菊を折るその袖に香りが移る、の意である。菊を手折る動作と、袖に移る香りが一句に収められる。
三句「菊の露」は、菊に置いた露である。菊の露は長寿をもたらすものとされ、本巻の第七百十七首の「菊の下水」、前歌の長月の菊に続いて、菊による長寿が詠まれる。
四句「うち払ふにも」は、払い落とすだけのわずかな間にも、の意である。「うち」は動作の軽さを添える接頭語で、ほんの一瞬の動きが示される。
結句「千代は経ぬべし」の「ぬべし」は、きっと〜してしまうだろう、の意である。露を払う一瞬に千年が経つという時間の対比によって、入内する女御の行く末の長久を祝う。「経」の語は本巻の第七百十五首の「よよを経て」、第七百十六首の「千歳経る」とも響き合う。
じゆだい:后や女御となる人が正式に内裏に入ること
やまびと:山に住む人。仙人の意にも用いる
うちはらふ:さっと払い落とす
- 作者
-
藤原俊成
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-