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池水の世々に久しくすみぬれば
底の玉藻も光見えけり

歌の意味
池の水が代々にわたって久しく澄みつづけているので、底の美しい藻までも光って見えることだ。
鑑賞
巻第七 賀歌 723

詞書「永承四年内裏歌合に池水といふ心を」
 澄んだ水や空の光に寄せて御代を祝う一連の二首目である。池の水が代々久しく澄んでいるので、底の玉藻まで光って見えると詠む。詞書によれば、永承四年の内裏歌合で「池水」を題として詠まれた。
 作者は神祇伯大中臣輔親の娘で、一条天皇の中宮彰子に仕えた。
 場面は時期を定めない題詠の景、場所は澄んだ水をたたえる池である。
 直接の契機は、永承四年(1049)、後冷泉天皇の内裏で催された歌合での「池水」の題による詠である。

 初句「池水の」は、池の水が、の意である。前歌の第七百二十二首の「水の面」を受けて、池水の景が続く。
 二句「世々に久しく」は、代々にわたって久しく、の意である。池水の長い歳月が、御代の長さに重ねられる。
 三句「すみぬれば」の「すみ」は、水が澄む意と、住み続ける意を掛けた掛詞である。「ぬれば」は完了の「ぬ」の已然形に「ば」が付き、澄んでいるので、という理由を表す。前歌の「千歳にすめる」と同じ掛詞で、二首が対をなす。
 四句「底の玉藻も」は、池の底の美しい藻までも、の意である。水が澄み切っていることが、底まで見通せることで示される。
 結句「光見えけり」の「けり」は詠嘆である。前歌が水面に宿る月の光を詠んだのに対し、この歌は水底の玉藻の光を詠み、水面と水底という上下の対比をなす。

すむ:水が澄む意と、住む意を掛ける
たまも:美しい藻
作者
伊勢大輔
出典
新古今和歌集
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