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身にかへて花も惜しまじ君が代に
見るべき春の限りなければ

歌の意味
わが身に代えてまで花を惜しむことはすまい。君の御代に見るはずの春には限りがないのだから。
鑑賞
巻第七 賀歌 733

詞書「同じ御時、南殿の花の盛りに歌よめと仰せられければ」
 二条院の御代の花を詠む一連の二首目である。君の御代に見るはずの春は限りないので、わが身に代えてまで花を惜しむことはしないと詠む。詞書によれば、前歌と同じ二条院の御代、南殿の花の盛りに、歌を詠めと命じられて詠んだ歌である。
 作者は二条天皇に仕えた内侍である。
 場面は二条院の御代の春、花の盛りのころ、場所は内裏の南殿の前である。
 直接の契機は、南殿の花の盛りに、歌を詠むよう命じられたことである。
 南殿は紫宸殿の別称で、その前庭には左近の桜が植えられていた。

 初句「身にかへて」は、わが身に代えて、の意である。命と引き換えにしてまで、という強い言い方で、花を惜しむ通念を示す。
 二句「花も惜しまじ」の「じ」は打消の意志を表し、惜しむまい、の意である。ここで意味が切れる二句切れで、下の句との倒置をなす。
 三句「君が代に」は、君の御代に、の意である。前歌の第七百三十二首の初句と同じ語で、二首が同じ御代を寿ぐ。
 四句「見るべき春の」は、見るはずの春の、の意である。本巻の第七百十三首の「あふべき春の」と同じ形で、これから迎える春を見越している。
 結句「限りなければ」は、限りがないので、の意である。春が限りなく巡るので散る花を惜しむ必要はないとし、花を惜しむ通念に御代の長久という理屈を差し向ける。本巻の第七百十三首が春の多さを理由に散る花を心ゆくまで見ると詠んだのに対し、同じ理屈から惜しまないことへと結論を転じている。第七百三十八首も同じ結句で結ばれる。

なんでん:紫宸殿の別称
をしむ:散るのを残念に思う
作者
参河内侍
出典
新古今和歌集
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