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藻塩草かくとも尽きじ君が代の
数によみ置くわかの浦波

歌の意味
藻塩草を掻き集めるように、どれほど書き集めても尽きることはあるまい。君の御代の数として詠み置く、和歌の浦の波のように寄せる歌は。
鑑賞
巻第七 賀歌 741

詞書「和歌所の開闔になりて初めてまゐりし日奏し侍りし」
 和歌所で詠まれた祝いの歌である。君が代の数として詠み置く和歌の浦の波のような歌は、藻塩草を掻き集めるように書き集めても尽きることはあるまいと詠む。詞書によれば、和歌所の開闔となって初めて参上した日に奏上した歌である。
 作者は源時長の子で、後鳥羽院に仕えて和歌所の開闔を務め、『源家長日記』を著した。
 場面は和歌所の開闔として初めて参上した日、場所は和歌所である。
 直接の契機は、和歌所の開闔に任じられ、初めて出仕したことである。
 和歌所は、建仁元年(1201)に後鳥羽院が勅撰集の撰集のために院の御所に設けた役所で、開闔はその事務を執り行う職である。和歌の浦は紀伊国の歌枕で、今の和歌山市の海辺である。

 初句「藻塩草」は、塩を焼くために掻き集める海藻である。書き集めた歌の草稿をいう語としても用いられる。
 二句「かくとも尽きじ」の「かく」は、藻塩草を「掻く」意と、歌を「書く」意を掛けた掛詞である。「じ」は打消の推量で、どれほど書き集めても尽きないだろう、の意となり、ここで意味が切れる二句切れである。
 三句「君が代の」は、君の御代の、の意である。和歌所の仕事が、御代の長久を祝う営みとして示される。
 四句「数によみ置く」の「よみ」は、数を「読む」、すなわち数える意と、歌を「詠む」意を掛けた掛詞である。本巻の第七百十首の「年の数」と同じく、御代の年数を数えるものとして歌が位置づけられる。
 結句「わかの浦波」の「わか」は、紀伊国の歌枕「和歌の浦」と「和歌」を掛けた掛詞である。藻塩草、浦波と海辺の縁語を連ね、打ち寄せて尽きない波に尽きない和歌を重ねる。体言止めで結び、倒置によって歌そのものを最後に置いている。

かいかふ:和歌所の事務を執り行う職
もしほぐさ:塩を焼くために掻き集める海藻。書き集めた詠草の意にも用いる
かく:藻塩草を掻く意と、歌を書く意を掛ける
よむ:数を数える意と、歌を詠む意を掛ける
わかのうら:紀伊国の歌枕。和歌の意を掛ける
作者
源家長
出典
新古今和歌集
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