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常磐なる松井の水をむすぶ手の
雫ごとにぞ千代は見えける

歌の意味
常緑で変わらない松井の水を両手ですくう、その手からしたたる雫の一つ一つに、千代が見えることだ。
鑑賞
巻第七 賀歌 756

詞書「同じ大嘗会主基屏風に六月松井」
 大嘗会の歌の一連の十首目で、賀歌の巻末歌である。常磐の松井の水をすくう手の雫ごとに、千代が見えると詠む。詞書によれば、前歌と同じ建久九年の大嘗会で、主基の国の屏風に描かれた六月の松井を詠んだ歌である。
 作者は藤原兼光の子で、権中納言に至った。
 場面は六月の夏、場所は屏風絵に描かれた主基の国の松井である。
 直接の契機は、建久九年(1198)、土御門天皇の大嘗会で主基の国の屏風に添える歌として詠んだことである。

 初句「常磐なる」は、常緑で変わらない、の意である。本巻の第七百三十一首、第七百四十七首と同じ初句である。
 二句「松井の水を」は、主基の国の地名である松井の水を、の意である。地名の「松」が初句の「常磐」と結び付く。
 三句「むすぶ手の」は、両手を合わせて水をすくう、その手の、の意である。六月の暑さのなかで清水をすくう涼しさが示され、前歌の第七百五十五首の夕風の涼しさと呼応する。
 四句「雫ごとにぞ」は、したたる雫の一つ一つに、の意で、「ぞ」は強意の係助詞である。本巻の第七百二十五首の「枝ごとに」と同じく、一つ一つに千代の数を見る趣向である。
 結句「千代は見えける」は、千代が見えることだ、の意で、連体形「ける」で係り結びを結ぶ。手からこぼれる雫という一瞬のものに千代を見て、賀歌の巻を閉じる。巻頭歌である本巻の第七百七首が民のかまどの煙に治世の豊かさを見たのに対し、巻末は大嘗会の地の清水に御代の長久を見て、君の御代を寿ぐ巻が首尾を整える。

むすぶ:両手を合わせて水をすくう
すき:大嘗会で新穀を献じる二国のうち、西の国
作者
藤原資実
出典
新古今和歌集
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