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誰もみな花の都に散り果てて
ひとりしぐるる秋の山里

歌の意味
誰もみな、花の都へと散り散りに去ってしまって、私ひとりが時雨の降るなかで涙に暮れている、秋の山里である。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 764

詞書「年ごろ住み侍りける女の身まかりにける四十九日果てて、なほ山里に籠りゐて詠み侍りける」
 春の死別を詠む一連の六首目である。人々はみな花の都に帰ってゆき、自分ひとりが時雨の降る秋の山里で涙に暮れていると詠む。詞書によれば、長年連れ添った女が亡くなり、四十九日が過ぎてもなお山里に籠っていたときの歌である。秋の歌であるが、「花の都」「散り果てて」と花の語を用いており、春の歌群に続けて置かれている。
 作者は修理大夫藤原顕季の子で、左京大夫を務め、崇徳院の命により『詞花和歌集』を撰進した。六条藤家の歌人である。
 場面は長年連れ添った女の四十九日が明けた後の秋、場所は喪に籠った山里である。
 直接の契機は、四十九日が過ぎてもなお山里に籠っていたことである。
 四十九日は人の死後四十九日目にあたる中陰の終わりで、この日をもって忌明けとし、喪に籠っていた人々も日常に戻った。

 初句「誰もみな」は、ともに喪に籠っていた人々のすべてをさす。四句の「ひとり」と対をなす。
 二句「花の都に」の「花の都」は、華やかな都をいう。秋の山里との対比のために「花」の語が置かれている。
 三句「散り果てて」は、すっかり散ってしまって、の意である。人々が都へ去ってゆくことを花の散ることにたとえ、二句の「花」の縁語となっている。
 四句「ひとりしぐるる」の「しぐるる」は、時雨が降る意と、涙を落として泣く意を掛ける掛詞である。「ひとり」が初句の「誰もみな」に応じ、人々が去った後に残された孤独を示す。
 結句「秋の山里」は体言止めである。二句の「花の都」と結句の「秋の山里」が、華やかさとさびしさ、人の群れと独りとを対比させる。前歌までの春の花の歌から、ここで景は秋の山里へ転じ、「花」の語だけが春の歌群とのつながりを保っている。

としごろ:長年
みまかる:亡くなる
こもりゐる:引きこもってとどまる
ちりはつ:すっかり散ってしまう
しぐる:時雨が降る意と、涙を落として泣く意を掛ける
作者
藤原顕輔
出典
新古今和歌集
その他の歌