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花見てはいとど家路ぞ急がれぬ
待つらんと思ふ人しなければ

歌の意味
花を見ても、いっそう家路を急ぐ気にはなれない。家で待っているだろうと思う人もいないのだから。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 765

詞書「公守朝臣母身まかりてのちの春、法金剛院の花を見て」
 春の死別を詠む一連の七首目である。花を見ても、待っていてくれると思う人もいないので、いっそう家路を急ぐ気になれないと詠む。詞書によれば、公守朝臣の母が亡くなった後の春、法金剛院の花を見て詠んだ歌である。
 作者は右大臣藤原公能の子で、左大臣に至り、祖父の徳大寺左大臣実能に対して後徳大寺左大臣と呼ばれた。藤原俊成の甥にあたる。「公守朝臣」は作者の子の藤原公守で、その母は作者の妻である。
 場面は公守朝臣の母が亡くなった後の春、場所は法金剛院である。
 直接の契機は、法金剛院の花を見たことである。
 法金剛院は京都の花園にある寺で、大治五年(1130)に待賢門院の御願によって建立された。

 初句「花見ては」は、花を見たときには、の意である。花を見た帰り道という場面が初句で示される。
 二句「いとど家路ぞ」の「いとど」は、いっそう、の意である。「ぞ」は強意の係助詞で、三句の「急がれぬ」で結ばれる。
 三句「急がれぬ」の「れ」は自発、「ぬ」は打消の「ず」の連体形で、急ぐ気持ちになれない、の意である。「ぞ」の結びとして連体形をとり、ここで三句切れとなる。
 四句「待つらんと思ふ」は八音の字余りである。家で待っているだろうと思う、の意で、結句の「人」にかかる。
 結句「人しなければ」の「し」は強意の副助詞で、そういう人がいないのだから、と理由を示す。上の句と下の句が倒置となり、家路を急がない理由が後に置かれる。美しい花を見れば帰って語りたいはずの家路が、妻の不在によって急ぐ意味を失っている。前歌が都へ去る人々と山里に残る自分を対比したのに対し、ここでは帰るべき家に待つ人がいない。

みまかる:亡くなる
いへぢ:家へ帰る道
作者
藤原実定
出典
新古今和歌集
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