- 歌の意味
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せめて立ち昇る煙だけでも見届けるはずであるのに、それさえ霞にまぎれて見分けられない、春の曙である。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 767
詞書「前大納言光頼、春身まかりにけるを、桂なる所にてとかくして帰り侍りけるに」
春の死別を詠む一連の九首目である。せめて立ち昇る煙だけでも見届けたいのに、それさえ霞にまぎれてしまう春の曙であると詠む。詞書によれば、前大納言光頼が春に亡くなり、桂という所で葬送をすませて帰るときの歌である。
作者は権中納言藤原顕頼の子で、左兵衛督などを務めたが、平治の乱の後に配流され、出家した。「前大納言光頼」は作者の兄の藤原光頼で、権大納言に至った。
場面は光頼が亡くなった春の曙、場所は都の西の桂である。
直接の契機は、兄光頼の葬送をすませて帰る道すがらのことである。
初句「立ち昇る」は、火葬の煙が空へ昇ってゆくさまである。
二句「煙をだにも」の「だに」は、せめて…だけでも、の意である。亡き人の姿はもう見られないので、せめて煙だけでも、という願いを示す。
三句「見るべきに」の「べき」は当然、「に」は逆接で、見届けるはずであるのに、の意である。
四句「霞にまがふ」の「まがふ」は、入り混じって見分けがつかなくなる、の意である。立ち昇る煙が春の霞と見分けられなくなる。
結句「春の曙」は体言止めである。美しいはずの春の曙の景が、ここでは亡き人の最後の姿を隠すものとなる。前歌の第七百六十六首の「春霞」を受けて霞と葬送の煙の取り合わせを重ね、本巻の第七百五十八首の「野辺の霞」とも響き合いながら、春の死別の一連を結んでいる。
みまかる:亡くなる
とかくす:葬送のことをあれこれとり行う
まがふ:入り混じって見分けがつかなくなる
- 作者
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藤原惟方
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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