あやめ草ひきたがへたる袂には
昔を恋ふるねぞかかりける
- 歌の意味
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菖蒲草を引くこの日に、引き替えたように出家の姿に変わってしまった袂には、菖蒲の根ではなく、昔を恋うて泣く音が掛かっていることだ。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 771
詞書「近衛院隠れたまひにければ、世を背きてのち、五月五日、皇嘉門院に奉られける」
夏の景物に故人をしのぶ一連の四首目で、贈答の贈歌である。菖蒲を引く日に、出家して様変わりした袂には、昔を恋うて泣く音が掛かっていると詠む。詞書によれば、近衛天皇が亡くなった後に出家し、五月五日に皇嘉門院へ奉った歌である。
作者は藤原伊通の娘で、関白藤原忠通の養女となって近衛天皇の中宮となり、のち院号を受けて九条院と呼ばれた。「皇嘉門院」は忠通の娘の藤原聖子で、崇徳天皇の中宮である。近衛天皇は聖子の養子として育てられており、二人はともに近衛天皇を失った身である。
場面は近衛天皇崩御の後の五月五日、場所は記されていない。
直接の契機は、出家の後に迎えた五月五日に、皇嘉門院へ歌を奉ったことである。
近衛天皇は久寿二年(1155)に十七歳で崩御した。五月五日の端午の節句には、菖蒲を引いて軒に葺き、その根を袂や薬玉に掛けて邪気を払った。
初句「あやめ草」は菖蒲である。前歌の第七百七十首の「あやめ」を受け、端午の景物をそのまま初句に置く。
二句「ひきたがへたる」の「ひき」は、菖蒲を引く意と、様子をすっかり変える「引き違ふ」の意を掛ける掛詞である。「たる」は存続で、菖蒲を引く日に、自分は出家して袂の姿が変わってしまったことを示す。
三句「袂には」は、出家の身となった袂には、の意である。本来は節句の菖蒲の根を掛ける場所である。
四句「昔を恋ふる」は、近衛天皇が在世であった昔を恋い慕う、の意である。前歌の第七百七十首の四句と同じ句である。
結句「ねぞかかりける」の「ね」は、菖蒲の「根」と、泣く「音」を掛ける掛詞である。「ぞ」は強意の係助詞で、「ける」と連体形で結ぶ。袂に掛かるはずの菖蒲の根のかわりに、泣く音が掛かっているという。前歌の結句「ねのみかかりて」とほぼ同じ趣向で、二首は四句と結句を重ねて並べられている。次歌の第七百七十二首は、この「袂」と「ね」を受けて返す。
かくる:貴人が亡くなる
そむく:世を捨てて出家する
あやめぐさ:菖蒲
ひく:菖蒲を引き抜く意と、様子をすっかり変える引き違ふの意を掛ける
たもと:袖
ね:菖蒲の根の意と、泣く声の意の音を掛ける
- 作者
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藤原呈子
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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