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浅茅原はかなく消えし草の上の
露を形見と思ひかけきや

歌の意味
浅茅の茂る原となったこの御殿の跡で、はかなく消えた草の上の露を、亡き御方の形見と思うことになろうとは、思いもかけなかった。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 777

詞書「白河院御時、中宮おはしまさでのち、その御方は草のみ茂りて侍りけるに、七月七日、童べの露取り侍りけるを見て」
 秋の景物に故人をしのぶ一連の三首目である。浅茅の茂る原で、はかなく消えた草の上の露を形見と思うことになるとは思いもかけなかったと詠む。詞書によれば、白河天皇の時代に中宮が亡くなった後、その御殿には草ばかりが茂っていたが、七月七日に童べが露を取っているのを見て詠んだ歌である。
 作者は周防守平棟仲の娘で、後冷泉天皇から堀河天皇までの四代に内侍として仕えた。「中宮」は白河天皇の中宮藤原賢子で、源顕房の娘、藤原師実の養女である。堀河天皇の母で、応徳元年(1084)に亡くなった。
 場面は中宮の没後の七月七日、場所は草の茂った中宮の御殿の跡である。
 直接の契機は、七夕の日に童べが草の露を取るのを見たことである。
 七月七日の七夕は、牽牛と織女の二星が年に一度会う夜とされ、宮中では星を祭る乞巧奠が行われた。

 初句「浅茅原」は、丈の低い茅の生い茂る野原である。人の住まなくなった荒れた場所を思わせ、中宮の没後に草ばかり茂った御殿のさまを示す。
 二句「はかなく消えし」は、前歌の第七百七十六首の二句「はかなく置きし」と一語を違えるだけの句である。前歌が露の置いたことをいうのに対し、ここでは消えたことをいい、中宮のはかない死を重ねる。
 三句「草の上の」は、前歌の「袖の上の」に対応する。前歌では唐衣の袖に織られた露であったものが、ここでは御殿の跡に茂る草の露となる。
 四句「露を形見と」は、前歌の「露を形見に」とほぼ同じ句である。童べが取る草の露を、亡き中宮の形見と見る。
 結句「思ひかけきや」の「き」は過去、「や」は反語で、思いもかけなかった、の意である。「かけ」には露が掛かる意が響き、露の縁語として働く。前歌の初句「思ひきや」を結句に置き直した形で、二首は初句と結句を入れ替えるようにして同じ感慨を詠む。次歌の第七百七十八首も「浅茅が露」を詠み、浅茅と露の取り合わせが続く。

おはします:いらっしゃる
あさぢはら:丈の低い茅が一面に生えた野原
わらはべ:子ども
おもひかく:予想する、心に思う
作者
平仲子
出典
新古今和歌集
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