寝覚めする身を吹き通す風の音を
昔は袖のよそに聞きけん
- 歌の意味
-
夜中に目覚めている私の身を吹き通す風の音を、昔は袖に関わりのないものとして聞いていたのであろう。
- 鑑賞
-
巻第八 哀傷歌 783
詞書「弾正尹為尊親王に後れて嘆き侍りけるころ」
秋の景物に故人をしのぶ一連の九首目である。寝覚めする身を吹き通す風の音を、昔は袖に関わりのないものとして聞いていたのであろうと詠む。詞書によれば、弾正尹為尊親王に先立たれて嘆いていたころの歌である。
作者は大江雅致の娘で、和泉守橘道貞の妻となり、のち上東門院に仕えた。「弾正尹為尊親王」は冷泉天皇の皇子で、作者と恋愛関係にあったが、長保四年(1002)に亡くなった。弾正尹は、官人の不正を取り締まる弾正台の長官である。
場面は為尊親王の没後の寝覚めの夜、場所は記されていない。
直接の契機は、為尊親王に先立たれた嘆きである。
初句「寝覚めする」は、夜中に目を覚ます、の意である。嘆きのために眠れない夜をいう。
二句「身を吹き通す」は、風が身にしみとおることをいう。悲しみのために、風がこれまでになく身にこたえる。
三句「風の音を」の「を」は、結句の「聞きけん」にかかる。身を吹き通す風の音が、寝覚めの夜の寂しさを伝える。
四句「昔は袖の」の「昔」は、為尊親王が生きていたころである。袖は涙を受けるものとして置かれる。
結句「よそに聞きけん」の「袖のよそ」は、袖とは関わりのないところ、の意で、昔は風の音を聞いても涙に袖を濡らすことはなかったという。「けん」は過去推量で、聞いていたのであろう、の意である。今は同じ風の音が涙を誘うことを、昔との対比で示す。前歌の第七百八十二首の「昔の秋」を受けて昔と今を比べ、次歌の第七百八十四首の「袖濡らす」が、この「袖のよそ」を反転させるように続く。
ねざめ:夜中に目を覚ますこと
おくる:人に死なれて後に残る
よそ:自分とは関わりのない所
- 作者
-
和泉式部
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-