悲しさは秋の嵯峨野のきりぎりす
なほふるさとにねをやなくらん
- 歌の意味
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その悲しさは、秋の嵯峨野で鳴くきりぎりすのようで、今もなお住み慣れた家で、声をあげて泣いているのであろうか。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 786
詞書「公時卿母身まかりて嘆き侍りけるころ、大納言実国がもとに申し遣はしける」
秋の景物に故人をしのぶ一連の十二首目である。悲しさは秋の嵯峨野のきりぎりすのようで、今もなお住み慣れた家で声をあげて泣いているのであろうかと、妻を亡くした人を思いやる。詞書によれば、公時卿の母が亡くなって嘆いていたころ、大納言実国のもとへ贈った歌である。
作者は右大臣藤原公能の子で、左大臣に至った。「大納言実国」は藤原実国で、内大臣藤原公教の子であり、権大納言に至った。「公時卿」は実国の子の藤原公時で、その母は実国の妻である。
場面は公時の母が亡くなった後の秋、場所は記されていない。
直接の契機は、妻を亡くして嘆く実国を見舞ったことである。
初句「悲しさは」は、その悲しさといえば、の意で、二句以下のきりぎりすのたとえへと続ける。
二句「秋の嵯峨野の」は、前歌の第七百八十五首の「嵯峨の野辺」を受け、嵯峨野の景をそのまま引き継ぐ。
三句「きりぎりす」は、今のこおろぎにあたる秋の虫である。秋の夜に鳴く虫として、嘆く人の声になぞらえる。本巻の第七百八十四首の「虫の音」に続いて虫を詠む。
四句「なほふるさとに」の「ふるさと」は、住み慣れた家の意である。「なほ」は、今もなお、の意で、妻の亡き後も同じ家で嘆き続けるさまをいう。
結句「ねをやなくらん」の「ね」は声で、「なく」は、きりぎりすが鳴く意と、人が泣く意を掛ける掛詞である。「や」は疑問の係助詞で、「らん」と連体形で結ぶ。きりぎりすの鳴く声に、妻を失って泣く実国の声を重ねて思いやる。次歌の第七百八十七首も嵯峨野を詠み、嵯峨野の歌が続く。
みまかる:亡くなる
きりぎりす:今のこおろぎ
ふるさと:住み慣れた家
なく:虫が鳴く意と、人が泣く意を掛ける
- 作者
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藤原実定
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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