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今はさは憂き世のさがの野辺をこそ
露消え果てし跡としのばめ

歌の意味
今となってはもう、つらい世の定めとして、この嵯峨の野辺こそを、露のように母が消え果てた跡としてしのぼう。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 787

詞書「母の身まかりにけるを、嵯峨野辺に納め侍りける夜詠みける」
 秋の景物に故人をしのぶ一連の十三首目である。今はもう、憂き世の定めとして、嵯峨の野辺を露の消え果てた跡としてしのぼうと詠む。詞書によれば、母が亡くなり、嵯峨野のあたりに葬った夜に詠んだ歌である。
 作者は藤原俊成の娘の八条院三条と藤原盛頼との間の娘で、祖父俊成の養女となった。後鳥羽院歌壇で活躍した女流歌人である。
 場面は母を葬った夜、場所は嵯峨野のあたりである。
 直接の契機は、母を嵯峨野のあたりに葬ったことである。

 初句「今はさは」の「さは」は、それでは、の意である。母を葬り終えた今となっては、と区切りをつける言い方である。
 二句「憂き世のさがの」の「さが」は、世の定めをいう「性」と、地名の「嵯峨」を掛ける掛詞である。つらい世の定めとして、の意から嵯峨の野辺へと続く。
 三句「野辺をこそ」の「こそ」は強意の係助詞で、結句の「め」と已然形で結ぶ。本巻の第七百八十五首、第七百八十六首に続いて嵯峨野を詠む。
 四句「露消え果てし」は、露がすっかり消えてしまった、の意で、母の死を露の消えたさまにたとえる。「し」は過去である。
 結句「跡としのばめ」の「跡」は、亡き人のあとで、ここでは母を葬った所をいう。「め」は意志の助動詞「む」の已然形で、三句の「こそ」を受け、跡としてしのぼう、と結ぶ。本巻の第七百五十八首が自分の最期を野辺の霞と詠んだのに対し、ここでは野辺を亡き母の露の消えた跡と見る。嵯峨野を詠む三首はこの歌で結ばれる。

みまかる:亡くなる
をさむ:遺骸を葬る
さが:世の定めの意の性と、地名の嵯峨を掛ける
しのぶ:亡き人を慕い思い出す
作者
俊成卿女
出典
新古今和歌集
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