- 歌の意味
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せめて袖の露だけでも、今は亡き父の形見としている藤衣であるのに、その袖をむやみに吹いてゆく嵐であることよ。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 789
詞書「父秀宗身まかりての秋、寄風懐旧といふことを詠み侍りける」
秋の景物に故人をしのぶ一連の十五首目である。せめて露だけでも今は形見としている藤衣の袖を、むやみに吹く嵐であることよと詠む。詞書によれば、父秀宗が亡くなった年の秋に、「寄風懐旧」の題で詠んだ歌である。
作者は藤原秀宗の子で、後鳥羽院に北面の武士として仕え、歌人としても重用された。のち出家して如願と号した。
場面は父の亡くなった年の秋、場所は記されていない。
直接の契機は、「寄風懐旧」(風に寄せて昔を懐かしむ)の題による詠である。
初句「露をだに」の「だに」は、せめて…だけでも、の意である。袖に置く露を、せめてもの形見とする心を示す。
二句「今は形見の」は、今は亡き父の形見となった、の意で、三句の「藤衣」にかかる。
三句「藤衣」は、喪中に着る粗末な喪服である。袖の露は涙を思わせ、喪服の袖の涙だけが父をしのぶよすがとして残るという。
四句「あだにも袖を」の「あだに」は、むやみに、いたずらに、の意である。
結句「吹く嵐かな」の「かな」は詠嘆である。形見の露さえ吹き散らす嵐を恨む心を示す。題の「風」を嵐とし、「懐旧」を形見の露に託している。前歌の第七百八十八首の、露も涙もとどめない秋風に続いて、露を吹き散らす風が詠まれる。次歌の第七百九十首からは、寝覚めと夢の歌が続く。
みまかる:亡くなる
ふぢごろも:喪中に着る喪服
かたみ:故人をしのぶよすがとなるもの
- 作者
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藤原秀能
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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