物思へば色なき風もなかりけり
身にしむ秋の心ならひに
- 歌の意味
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物思いをしていると、色のない風というものもなかったのだ。身にしみる秋に慣らされた心の習いのままに。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 797
詞書「堀河院隠れ給ひてのち、神無月、風の音あはれに聞こえければ」
秋の景物に故人をしのぶ一連の二十三首目である。物思いをしていると色のない風もなかった、身にしみる秋の心の習いのままにと詠む。詞書によれば、堀河天皇が亡くなった後の十月に、風の音がしみじみと聞こえたので詠んだ歌である。
作者は右大臣源顕房の子で、太政大臣に至り、久我家の祖となった。姉の賢子が白河天皇の中宮として堀河天皇を産んでおり、作者は堀河天皇の叔父にあたる。
場面は堀河天皇崩御の後の十月、場所は記されていない。
直接の契機は、堀河天皇の没後、十月に風の音を聞いたことである。
堀河天皇は嘉承二年(1107)に崩御した。秋風を「色なき風」とするのは、五行説で秋に白をあてることによる。『古今和歌六帖』には、秋風を色のないものと思っていたが身にしみると詠む紀友則の歌がある。
初句「物思へば」は、物思いをしていると、の意である。「ば」は順接で、堀河天皇を失った嘆きを前提に置く。
二句「色なき風も」の「色なき風」は秋風のことである。色のないはずの風さえ、物思う身には身にしみるものとなる。
三句「なかりけり」の「けり」は詠嘆で、色のない風などなかったのだと気づく心を示す。ここで三句切れとなる。
四句「身にしむ秋の」の「身にしむ」は、身にしみとおる、の意である。『古今和歌六帖』の友則の歌の、身にしみる秋風を踏まえた語である。
結句「心ならひに」の「心ならひ」は、心の習い、習慣となった心のありようである。倒置により、三句までの理由が結句に置かれる。身にしみる秋の風に心が慣らされたために、十月の風もまた身にしみるという。前歌の第七百九十六首の松風に続いて風を詠み、本巻の第七百八十三首の身を吹き通す風の音とも響き合う。
かくる:貴人が亡くなる
かみなづき:陰暦十月
こころならひ:心の習い、習慣となった心のありよう
- 作者
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源雅実
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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