命あれば今年の秋も月は見つ
別れし人に逢ふ夜なきかな
- 歌の意味
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命があるので、今年の秋も月は見た。けれども、死に別れたあの人に逢う夜はないことだ。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 799
詞書「源為善朝臣身まかりにける又の年、月を見て」
秋の景物に故人をしのぶ一連の二十五首目で、一連の最後の歌である。命があるので今年の秋も月は見たが、別れた人に逢う夜はないと詠む。詞書によれば、源為善が亡くなった翌年に、月を見て詠んだ歌である。
作者は俗名を橘永愷といい、出家して諸国の歌枕を訪ね歩いた。中古三十六歌仙の一人である。「源為善朝臣」は平安時代中期の官人である。
場面は為善が亡くなった翌年の秋の月夜、場所は記されていない。
直接の契機は、為善の亡くなった翌年に、秋の月を見たことである。
初句「命あれば」の「ば」は順接の確定条件で、命があるので、の意である。生き残った自分の身を初句に置く。
二句「今年の秋も」の「も」は、去年に続いて今年も、の意を添える。
三句「月は見つ」の「つ」は完了で、月は見た、の意である。「は」は取り立ての助詞で、下の句の「人に逢ふ夜」と対比させる。ここで三句切れとなる。
四句「別れし人に」は、死に別れた人に、の意である。「し」は過去で、前年の為善の死を指す。
結句「逢ふ夜なきかな」の「かな」は詠嘆である。月を見る夜は今年も巡ってきたが、人に逢う夜は再び来ないという。前歌の第七百九十八首の有明の月に続いて月を詠み、死者の側から歳月を数えた前歌に対し、ここでは生き残った側から一年を数える。本巻の第七百七十五首から続いた秋の景物に故人をしのぶ一連は、この歌で結ばれる。
みまかる:亡くなる
- 作者
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能因
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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