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今日来ずは見でややままし
山里の紅葉も人も常ならぬ世に

歌の意味
今日来なかったら、見ないままで終わってしまっただろうか。山里の紅葉も人の命も、移ろって定めのないこの世にあって。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 800

詞書「世の中はかなく、人々多く亡くなり侍りけるころ、中将宣方朝臣身まかりて、十月ばかり白河の家にまかれりけるに、紅葉の一葉残れるを見侍りて」
 冬の景物に故人をしのぶ一連の一首目である。今日来なければ見ずに終わったであろう、山里の紅葉も人も常ならぬ世にと詠む。詞書によれば、世の中が無常で多くの人が亡くなったころ、中将宣方朝臣も亡くなり、十月ごろ白河の家に出向いたところ、紅葉が一葉だけ残っているのを見て詠んだ歌である。
 作者は関白太政大臣藤原頼忠の子で、権大納言に至り、『和漢朗詠集』を撰んだ。「中将宣方朝臣」は左大臣源重信の子の源宣方で、中将となったが、長徳四年(998)に亡くなった。
 場面は十月ごろ、場所は都の東の白河の家である。
 直接の契機は、宣方の死の後、白河の家で散り残った紅葉の一葉を見たことである。

 初句「今日来ずは」の「ずは」は、もし…しなかったら、の意である。今日ここに来なかったらと仮定する。
 二句「見でややままし」の「で」は打消の接続、「や」は疑問、「まし」は反実仮想で、見ないで終わってしまっただろうか、の意である。ここで二句切れとなる。
 三句「山里の」は、白河の家のある山里をいう。
 四句「紅葉も人も」は、散り残った一葉の紅葉と、亡くなった宣方をはじめとする人々とを並べる。
 結句「常ならぬ世に」は、移り変わって定めのない世に、の意である。倒置により、二句の嘆きの理由が結句に置かれる。一葉だけ残った紅葉も明日には散るかもしれず、人の命もまた同じであるという。前歌の第七百九十九首までの秋の歌から十月の紅葉へと移り、冬の景物に故人をしのぶ一連が始まる。

みまかる:亡くなる
まかる:出向く
もみぢ:紅葉した木の葉
作者
藤原公任
出典
新古今和歌集
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