神無月しぐるるころもいかなれや
空に過ぎにし秋の宮人
- 歌の意味
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神無月の時雨の降るこの頃、涙に濡れるその衣もどのようであろうか。空しく過ぎ去ってしまった秋の宮にお仕えした人々よ。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 804
詞書「枇杷皇太后宮隠れてのち、十月ばかり、かの家の人々の中に、誰ともなくて差し置かせける」
冬の景物に故人をしのぶ一連の五首目である。神無月の時雨の頃、その衣もどのようであろうか、秋の宮に仕えた人々よと、主を失った宮の人々を思いやる。詞書によれば、枇杷皇太后宮が亡くなった後の十月ごろ、その宮に仕えた人々の中に、誰からとも名乗らずに置かせた歌である。
作者は平安時代中期の女房歌人で、相模守大江公資の妻となったことからこの名で呼ばれた。中古三十六歌仙の一人である。「枇杷皇太后宮」は藤原道長の娘の藤原妍子で、三条天皇の中宮となり、皇太后となった。万寿四年(1027)九月に亡くなった。
場面は妍子が亡くなった後の十月、場所は妍子の宮である。
直接の契機は、妍子の没後、主を失った宮の人々を見舞ったことである。
初句「神無月」は、陰暦十月である。時雨の降る季節として二句へ続く。
二句「しぐるるころも」の「ころも」は、時節をいう「頃も」と、宮人の着る「衣も」を掛ける掛詞である。時雨の頃に、涙に濡れる喪服の袖を思わせる。
三句「いかなれや」は、どのようであろうか、の意である。ここで三句切れとなり、結句の「宮人」への呼びかけへと続く。
四句「空に過ぎにし」は、空しく過ぎてしまった、の意である。「にし」は完了と過去で、秋が過ぎ去ったことに、秋に亡くなった皇太后の死が重ねられる。
結句「秋の宮人」の「秋の宮」は、皇后や皇太后の御所をいう呼び名で、季節の秋とも響き合う。「宮人」は、そこに仕える人々である。体言止めで、宮の人々に呼びかけて結ぶ。前歌の第八百三首の時雨を受けて神無月の時雨を詠み、冬の景物に故人をしのぶ一連を結ぶ。
かくる:貴人が亡くなる
さしおく:そっと置いておく
ころも:時節の意の頃と、衣服の意の衣を掛ける
あきのみや:皇后や皇太后の御所
みやびと:宮に仕える人
- 作者
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相模
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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