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水底にちちの光はうつれども
昔の影は見えずぞありける

歌の意味
水の底に、たくさんの灯火の光は映っているけれど、父の昔の面影は見えないことであった。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 809

詞書「入道摂政のために万灯会行はれ侍りけるに」
 近しい人を失った嘆きを詠む一連の二首目である。水底に数多くの灯の光は映るが、昔の父の面影は見えないと詠む。詞書によれば、入道摂政の追善のために万灯会が行われたときの歌である。
 作者は藤原兼家の娘で、円融天皇の女御となり、一条天皇を産んだ。のち出家して東三条院の院号を受けた。「入道摂政」は作者の父の藤原兼家で、右大臣藤原師輔の子であり、摂政、関白を務め、出家した。正暦元年(990)に亡くなった。
 場面は兼家の追善の万灯会、場所は灯明の映る水辺である。
 直接の契機は、父兼家の追善のために万灯会が行われたことである。
 万灯会は、数多くの灯明をともして仏に供え、罪障の消滅や死者の追善を願う法会である。

 初句「水底に」は、水の底に、の意である。万灯会の灯が水面に映るさまをいう。
 二句「ちちの光は」の「ちち」は、数多いことをいう「千々」と、「父」を掛ける掛詞である。数多くの灯火の光に、亡き父の威光が重ねられる。
 三句「うつれども」の「うつれ」は映る意、「ども」は逆接で、映っているけれども、の意である。
 四句「昔の影は」の「影」は、姿、面影の意である。二句の「光」に対して「影」を置き、光は映っても父の姿は映らないという。
 結句「見えずぞありける」の「ぞ」は強意の係助詞で、「ける」と連体形で結ぶ。数多くの灯が水底に映るほど明るいのに、求める昔の父の姿だけは見えない。前歌の第八百八首が月の明るさと喪の闇を対比したのに続き、ここでは灯の光と見えない影を対比し、父を失った嘆きを重ねている。

にふだう:仏門に入った人
まんどうゑ:数多くの灯明を供える法会
ちち:数の多い意の千々と、父の意を掛ける
かげ:姿、面影
作者
藤原詮子
出典
新古今和歌集
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