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逢ふことも今はなきねの夢ならで
いつかは君をまたは見るべき

歌の意味
お逢いすることも今はもうない。泣きながら寝た夢の中でなくて、いったいいつあなたをまた見ることができようか。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 811

詞書「一条院隠れたまひにければ、その御事をのみ恋ひ嘆きたまひて、夢にほの見えたまひければ」
 近しい人を失った嘆きを詠む一連の四首目である。逢うことも今はない、泣き寝の夢でなくて、いつあなたをまた見ることができようかと詠む。詞書によれば、一条天皇が亡くなり、そのことばかりを恋い嘆いていたところ、夢にほのかに姿が見えたので詠んだ歌である。
 作者は藤原道長の娘で、一条天皇の中宮となり、後一条天皇、後朱雀天皇の母となった。のち院号を受けて上東門院と呼ばれた。「一条院」は一条天皇で、寛弘八年(1011)に崩御した。
 場面は一条天皇崩御の後の夜、場所は記されていない。
 直接の契機は、亡き一条天皇が夢にほのかに見えたことである。

 初句「逢ふことも」は、お逢いすることも、の意である。現実に逢うことを初句に置く。
 二句「今はなきねの」の「なき」は、逢うことが今はもう「無き」の意と、泣きながら寝る「泣き寝」の意を掛ける掛詞である。
 三句「夢ならで」の「ならで」は、…でなくて、の意である。泣き寝の夢の中でなくては、と限る。
 四句「いつかは君を」の「いつかは」は反語で、いつ…できようか、いやできない、の意である。結句の「べき」と連体形で結ぶ。
 結句「または見るべき」の「べき」は可能で、また見ることができるだろうか、の意である。夢の中でしか亡き帝に逢えないという嘆きである。本巻の第七百七十九首は、一条天皇が出家の日に作者へ贈った歌であり、残して去る帝の悲しみと、残された后の悲しみが、同じ巻のなかで対をなしている。前歌の第八百十首の寝覚めの涙に続いて、寝て見る夢を詠む。

かくる:貴人が亡くなる
なき:もう無い意の無きと、泣き寝の泣きを掛ける
作者
藤原彰子
出典
新古今和歌集
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