古典和歌stream

憂しとては出でにし家を出でぬなり
などふるさとに我帰りけん

歌の意味
世をつらいとして一度出家なさった方が、さらにその家をもお出になったという。それなのに、どうして私は、もとの里へ帰ってしまったのだろうか。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 812

詞書「後朱雀院隠れ給ひて、上東門院白河にこもり給ひにけるを聞きて」
 近しい人を失った嘆きを詠む一連の五首目である。世をつらいとして出家した方がさらに家を出たというのに、どうして自分は里へ帰ってしまったのかと詠む。詞書によれば、後朱雀天皇が亡くなり、その母の上東門院が白河にこもったと聞いて詠んだ歌である。
 作者は関白藤原教通の娘で、後朱雀天皇の女御となった。原文の作者名には「大二条関白女」と注記があり、大二条関白は教通を指す。「後朱雀院」は後朱雀天皇で、一条天皇と上東門院の子である。寛徳二年(1045)に崩御した。
 場面は後朱雀天皇崩御の後、場所は作者の里である。
 直接の契機は、上東門院が白河にこもったと聞いたことである。
 白河は都の東、鴨川の東の地である。

 初句「憂しとては」は、世をつらいものとして、の意である。上東門院が世を厭う心を初句に置く。
 二句「出でにし家を」の「出でにし家」は、すでに出た家、すなわち出家したことをいう。「にし」は完了と過去で、上東門院がかつて出家したことを指す。
 三句「出でぬなり」の「ぬ」は完了、「なり」は伝聞で、さらにその家をお出になったそうだ、の意である。家を出る出家の身が、実際に住まいをも出て白河にこもったことを、「出で」の語を重ねて言う。ここで三句切れとなる。
 四句「などふるさとに」の「など」は、どうして、の意である。「ふるさと」は、宮中を退いて帰った自分の里をいう。
 結句「我帰りけん」の「けん」は過去の原因推量で、四句の「など」を受け、どうして私は帰ったのだろうか、と結ぶ。家を出てゆく上東門院と、里へ帰った自分とを対比し、世を捨てきれない身を嘆く。前歌の第八百十一首の作者上東門院が、ここでは詠まれる側となり、夫の一条天皇を失った后の歌に続いて、子の後朱雀天皇を失った母と、夫を失った女御の姿が並べられる。

かくる:貴人が亡くなる
こもる:寺などに引きこもる
いへ:住まい
ふるさと:以前住んでいた所、ここでは里の実家
作者
藤原生子
出典
新古今和歌集
その他の歌