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あはれ君いかなる野辺の煙にて
むなしき空の雲となりけん

歌の意味
ああ、わが君は、どのような野辺の煙となって、何もない空の雲となってしまわれたのであろうか。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 821

詞書「後朱雀院隠れたまひて、源三位がもとに遣はしける」
 煙に故人をしのぶ一連の二首目で、贈答の贈歌である。ああ君は、どのような野辺の煙となって、むなしい空の雲となったのであろうかと詠む。詞書によれば、後朱雀天皇が亡くなった後、源三位のもとへ贈った歌である。
 作者は平安時代中期の女房歌人である。「後朱雀院」は後朱雀天皇で、一条天皇と上東門院の子である。寛徳二年(1045)正月に崩御した。「源三位」は女房の呼称である。
 場面は後朱雀天皇崩御の後の春、場所は記されていない。
 直接の契機は、後朱雀天皇の死を悼み、源三位へ歌を贈ったことである。

 初句「あはれ君」の「あはれ」は感動詞で、ああ、の意である。「君」は亡き後朱雀天皇を指し、呼びかけで歌を始める。
 二句「いかなる野辺の」は、どのような野辺の、の意である。「いかなる」は疑問で、結句の「けん」と連体形で結ぶ。
 三句「煙にて」は、火葬の煙となって、の意である。前歌の第八百二十首の「煙になりし」を受ける。
 四句「むなしき空の」の「むなしき空」は、何もない空の意で、仏教でいう空の思想をも思わせる。
 結句「雲となりけん」の「けん」は過去推量で、雲となったのであろうか、の意である。煙から雲へと移る姿に、帝の死のはかなさを見る。本巻の第八百三首の「形見の雲」と同じく、火葬の煙が雲になるという見方を示す。次歌の第八百二十二首は、この煙を受けて春の霞と返す。

のべ:野原、ここでは火葬の場
作者
弁乳母
出典
新古今和歌集
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