- 歌の意味
-
かつて映っていたであろう昔の面影が残っているかと思って見ると、かえって悲しみの増す、この真澄の鏡であることよ。
- 鑑賞
-
巻第八 哀傷歌 825
詞書「俊頼朝臣身まかりてのち、常に見ける鏡を仏に造らせ侍るとて詠める」
形見の品を仏事に用いる一連の一首目である。映っていた昔の面影が残っているかと見ると、思いの増す鏡であると詠む。詞書によれば、源俊頼が亡くなった後、俊頼がいつも見ていた鏡を仏像に造らせようとして詠んだ歌である。
作者は平安時代後期の女房である。「俊頼朝臣」は源俊頼で、大納言源経信の子であり、『金葉和歌集』を撰進した。
場面は俊頼の没後、場所は記されていない。
直接の契機は、亡き俊頼の愛用の鏡を仏像に造らせることになったことである。
初句「映りけん」の「けん」は過去推量で、映っていたであろう、の意である。俊頼が毎日のぞき込んでいた鏡を思う。
二句「昔の影や」の「影」は、姿、面影の意である。「や」は疑問で、昔の面影が残っているかと、の意である。
三句「残るとて」の「とて」は、…と思って、の意である。
四句「見るに思ひの」の「に」は、…と、の意で、見るとかえって、の意となる。「思ひ」は、亡き人を思う悲しみである。
結句「ます鏡かな」の「ます」は、澄んだ鏡をいう「真澄鏡」と、思いが「増す」の意を掛ける掛詞である。「かな」は詠嘆である。面影を求めて鏡を見れば、映るのは自分の姿ばかりで、悲しみが増すという。本巻の第八百九首が水底に父の影が映らないと詠んだのと、影を求めて映らない嘆きで響き合う。本巻の第八百十六首の手箱と同じく、形見の品を仏事に用いて亡き人を供養する歌であり、次歌の第八百二十六首も形見の文を仏事に用いる。
みまかる:亡くなる
かげ:姿、面影
ますかがみ:よく澄んだ鏡
ます:真澄鏡のますと、思いが増す意を掛ける
- 作者
-
新少将
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-