書きとむる言の葉のみぞ水茎の
流れてとまる形見なりける
- 歌の意味
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書きとどめた言葉だけが、筆の跡として流れながらも、この世にとどまる形見であったのだ。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 826
詞書「通ひける女のはかなくなり侍りにけるころ、書き置きたる文ども、経の料紙になさんとて取り出でて見侍りけるに」
形見の品を仏事に用いる一連の二首目である。書きとどめた言葉だけが、筆の跡として流れてなおとどまる形見であったと詠む。詞書によれば、通っていた女が亡くなったころ、女の書き残した手紙を経を書く料紙にしようとして取り出して見たときに詠んだ歌である。
作者は権中納言藤原通季の子で、権大納言に至り、按察使を兼ねた。
場面は女が亡くなったころ、場所は記されていない。
直接の契機は、亡き女の手紙を経の料紙にしようとして読み返したことである。
故人の手紙を漉き返して料紙とし、経を書写して供養することが行われた。
初句「書きとむる」は、書きとどめる、の意である。女が書き残した手紙をいう。
二句「言の葉のみぞ」の「言の葉」は言葉、「のみ」は限定で、言葉だけが、の意である。「ぞ」は強意の係助詞で、結句の「ける」と連体形で結ぶ。
三句「水茎の」の「水茎」は筆跡である。「水」の縁で四句の「流れて」を導く。
四句「流れてとまる」は、水が流れながらもとどまる、の意である。流れる水茎の跡が、紙の上にはとどまって残ることをいい、「流れ」と「とまる」を対にする。
結句「形見なりける」の「ける」は詠嘆で、形見であったのだ、の意である。人は流れ去っても、書き残した言葉だけは形見としてとどまるという。その形見を経の料紙として手放そうとする場面であり、前歌の第八百二十五首の鏡と同じく、形見を仏事に用いる歌が二首並ぶ。本巻の第八百六首、第八百七首の「水茎」の歌、第八百十七首の「書きとめし跡」の歌と、筆跡を形見とする点で響き合う。
かよふ:男が女のもとへ通う
はかなくなる:亡くなる
れうし:物を書くための紙
みづくき:筆、また筆跡
- 作者
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藤原公通
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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