- 歌の意味
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有栖川の同じ流れは昔と変わらないけれど、かつて見た昔の人の面影は忘れられないことだ。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 827
詞書「禎子内親王隠れ侍りてのち、悰子内親王代はりゐ侍りぬと聞きて、まかりて見ければ、何事も変はらぬやうに侍りけるも、いとど昔思ひ出でられて、女房に申し侍りける」
弔いの訪れと見舞いを詠む一連の一首目である。有栖川の流れは変わらないが、見た昔の面影は忘れられないと詠む。詞書によれば、禎子内親王が亡くなった後、悰子内親王が代わって住むことになったと聞いて訪ねてみると、何もかも変わらない様子であったのがかえって昔を思い出させ、女房に申し送った歌である。
作者は太政大臣源雅実の子で、右大臣に至り、中院右大臣と呼ばれた。「禎子内親王」「悰子内親王」はいずれも皇女である。
場面は禎子内親王の没後、場所は有栖川の流れる、内親王の住まいである。
直接の契機は、禎子内親王の住まいを訪れ、昔と変わらぬ様子を見たことである。
有栖川は都の北の紫野を流れる川で、賀茂の斎院の御所の近くにあり、斎院と結び付けて詠まれた。
初句「有栖川」は、内親王の住まいのほとりを流れる川である。
二句「同じ流れは」は、昔と同じ川の流れは、の意である。「は」は取り立てで、下の句の「影」と対比させる。
三句「変はらねど」の「ね」は打消の「ず」の已然形、「ど」は逆接で、変わらないけれど、の意である。詞書の「何事も変はらぬやうに」を受ける。
四句「見しや昔の」の「や」は詠嘆で、かつて見た昔の、の意である。
結句「影ぞ忘れぬ」の「影」は、川面に映った姿と、亡き人の面影とを重ねる。「ぞ」は強意の係助詞で、「ぬ」と連体形で結ぶ。流れは変わらなくても、そこに映っていた人の姿はもうないという。前歌の第八百二十六首の「流れてとまる」を受けて、流れの変わらなさと人の不在とを対比する。本巻の第八百九首が水底に父の影を見られなかったのと、水に映る影を求める点で響き合う。
かくる:貴人が亡くなる
ゐる:住む、その場所に落ち着く
かげ:水に映る姿、面影
- 作者
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源雅定
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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