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いつ嘆きいつ思ふべきことなれば
後の世知らで人の過ぐらん

歌の意味
いつ嘆き、いつ思えばよいことだというので、人は後の世のことも知らないまま、日々を過ごしているのであろうか。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 831

詞書「無常の心を」
 無常の心を詠む一連の一首目である。いつ嘆きいつ思うべきことだというので、人は後の世を知らずに過ごしているのかと詠む。詞書によれば、「無常の心」を詠んだ歌である。
 作者は俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家し、諸国を旅して歌を詠んだ。
 場面と場所は記されていない。
 直接の契機は、「無常の心」を題とする詠である。
 なお原文の結句には「すむらん」の「む」を「く」とする注記がある。ここでは注記に従って「すぐらん」と読んだ。

 初句「いつ嘆き」は、いつ嘆くのか、の意である。人の死を嘆くべき時をいう。
 二句「いつ思ふべき」の「べき」は当然で、いつ思うべき、の意である。初句と重ねて、嘆くのも思うのも今でなくていつなのかと問う。
 三句「ことなれば」の「なれば」は、…であるので、の意である。いつ嘆き思うべきことだというので、と理由を示し、結句の「らん」へと続ける。
 四句「後の世知らで」の「後の世」は、死後の世界、来世である。「で」は打消の接続で、来世のことを知らないで、の意である。
 結句「人の過ぐらん」の「過ぐ」は、月日を過ごす意である。「らん」は原因推量で、どうして人は過ごしているのだろうか、の意となる。無常は今すぐ嘆き思うべきことなのに、人は来世を顧みずに日を送っているという。前歌の第八百三十首までの個別の死を悼む歌から、ここでは無常そのものを題として詠む歌へと移り、次歌の第八百三十二首から第八百三十五首まで慈円の無常の歌が続く。

のちのよ:死後の世界、来世
すぐ:月日を過ごす
作者
西行
出典
新古今和歌集
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