古典和歌stream

尋ね来ていかにあはれと眺むらん
跡なき山の峰の白雲

歌の意味
はるばる尋ねて来て、どれほど悲しいと思って眺めていることだろう。亡き人の跡もない山の、峰にかかる白雲を。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 836

詞書「前参議教長、高野にこもりゐて侍りけるが、病限りになり侍りぬと聞きて、頼輔卿まかりけるほどに、身まかりぬと聞きて遣はしける」
 死を悼む人を見舞う一連の一首目である。尋ねて来て、跡もない山の峰の白雲をどれほど悲しく眺めているだろうかと詠む。詞書によれば、前参議教長が高野山にこもっていたが病が重くなったと聞き、頼輔卿が出向いたところ、その途中で教長が亡くなったと聞いたので、頼輔に贈った歌である。
 作者は俗名を藤原定長といい、藤原俊成の甥で、その猶子となった。出家して寂蓮と号し、『新古今和歌集』の撰者に任じられた。「前参議教長」は藤原忠教の子の藤原教長で、参議となった。「頼輔卿」は教長の弟の藤原頼輔である。
 場面は教長が亡くなったころ、場所は紀伊国の高野山である。
 直接の契機は、兄を見舞いに向かった頼輔が、その途中で兄の死を聞いたことである。
 高野は紀伊国の高野山で、空海が開いた金剛峯寺がある。

 初句「尋ね来て」は、はるばる尋ねて来て、の意である。兄の見舞いに高野山へ向かった頼輔をいう。
 二句「いかにあはれと」の「いかに」は、どれほど、の意である。「あはれ」は、しみじみとした悲しみである。
 三句「眺むらん」の「眺む」は、物思いに沈んでじっと見やる意である。「らん」は現在推量で、頼輔が今眺めているであろうさまを思いやる。ここで三句切れとなる。
 四句「跡なき山の」の「跡なき」は、亡き人の跡もない、の意である。会うべき人がすでにいない山をいう。
 結句「峰の白雲」は体言止めである。倒置により、眺める対象が結句に置かれる。跡を残さない白雲に、跡もなく去った教長の姿を重ねる。本巻の第八百二十一首が亡き帝を煙から雲へと詠んだのと、雲に死者を見る点で響き合う。前歌の第八百三十五首までの無常の歌から、ここでは死別した人を見舞う歌へと移り、次歌の第八百三十七首も見舞いの歌である。

こもりゐる:寺などにこもって暮らす
かぎり:命の終わり
まかる:出向く
ながむ:物思いに沈んで見やる
作者
寂蓮
出典
新古今和歌集
その他の歌