古典和歌stream

つくづくと思へば悲しいつまでか
人のあはれをよそに聞くべき

歌の意味
しみじみと考えると悲しい。いつまで、人の死の悲しい知らせを、自分とは関わりのないこととして聞いていられるだろうか。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 839

詞書「無常の心を」
 無常を我が身に引き寄せて思う一連の一首目である。つくづく思えば悲しい、いつまで人の死をよそごととして聞いていられるだろうかと詠む。詞書によれば、「無常の心」を詠んだ歌である。
 作者は内大臣三条公教の子で、左大臣に至り、のち出家した。日記『愚昧記』を残した。
 場面と場所は記されていない。
 直接の契機は、「無常の心」を題とする詠である。

 初句「つくづくと」は、しみじみと、じっくりと、の意である。
 二句「思へば悲し」の「ば」は順接で、考えると悲しい、の意である。ここで二句切れとなる。
 三句「いつまでか」の「か」は反語の係助詞で、結句の「べき」と連体形で結ぶ。いつまで…できようか、いやできない、の意である。
 四句「人のあはれを」の「あはれ」は、人の死にまつわる悲しい出来事である。
 結句「よそに聞くべき」の「よそ」は、自分とは関わりのないこと、の意である。人の死を他人事として聞いていられるのも、いつまでのことかという。本巻の第八百三十二首が死の定めを知り顔にして知らない人を詠んだのと同じく、死を我が身のこととして受け止めようとする歌である。本巻の第八百十八首の「今日のあはれは明日の我が身を」とも、他人の死を自分の明日と見る点で響き合う。次歌の第八百四十首は、子に先立たれた親が我が身の行く末を嘆く歌である。

にふだう:仏門に入った人
あはれ:人の死などの悲しい出来事
よそ:自分とは関わりのないこと
作者
三条実房
出典
新古今和歌集
その他の歌