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そこはかと思ひ続けて来て見れば
今年の今日も袖は濡れけり

歌の意味
あれこれと思い続けながら墓所に来てみると、去年と同じく、今年の今日も袖は涙に濡れたことだ。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 841

詞書「覚快法親王隠れ侍りて、周忌の果てに墓所にまかりて詠み侍りける」
 法事や墓所に故人をしのぶ一連の一首目である。あれこれと思い続けて来てみると、今年の今日も袖は濡れたと詠む。詞書によれば、覚快法親王が亡くなって一周忌の法事の終わりに、墓所に出向いて詠んだ歌である。
 作者は関白藤原忠通の子で、天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。「覚快法親王」は鳥羽天皇の皇子で、天台座主を務めた。作者はその弟子にあたる。
 場面は覚快法親王の一周忌の果て、場所は墓所である。
 直接の契機は、師である覚快法親王の一周忌に墓所を訪れたことである。

 初句「そこはかと」は、あれこれと、とりとめもなく、の意である。
 二句「思ひ続けて」は、亡き師のことを思い続けて、の意である。
 三句「来て見れば」の「ば」は順接の確定条件で、来てみると、の意である。
 四句「今年の今日も」の「今日」は、師の命日にあたる一周忌の日である。「も」は、去年の今日と同じく今年も、の意を添える。
 結句「袖は濡れけり」の「けり」は詠嘆で、袖は涙に濡れたことだ、の意である。一年を経ても悲しみの変わらないことをいう。前歌の第八百四十首が子の墓所を訪れた歌であったのに続き、ここでは師の墓所を一周忌に訪れ、墓所と法事を詠む歌が続く。本巻の第七百九十九首が一年を経ても人に逢えないと詠んだのと、一年という時の区切りで響き合う。

かくる:貴人が亡くなる
しうき:人の死後、一年目の命日、またその法事
ぼしよ:墓のある所
作者
慈円
出典
新古今和歌集
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