誰もみな涙の雨にせきかねぬ
空もいかがはつれなかるべき
- 歌の意味
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誰もみな、雨のように流れる涙をせき止めかねている。空もどうして素知らぬ顔でいられようか、こうして雨を降らせている。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 842
詞書「母のために粟田口の家にて仏供養し侍りける時、はらからみな詣で来あひて、古き面影などさらにしのび侍りける折節しも、雨かきくらし降り侍りければ、帰るとて、かの堂の障子に書きつけ侍りける」
法事や墓所に故人をしのぶ一連の二首目である。誰もみな涙の雨をせき止めかねている、空もどうしてつれなくしていられようかと詠む。詞書によれば、母の供養のために粟田口の家で仏供養をしたとき、兄弟姉妹がみな集まって亡き母の面影をあらためてしのんでいた折しも、雨が空を暗くして降ってきたので、帰り際にその堂の障子に書きつけた歌である。
作者は内大臣藤原兼雅の子で、右近衛大将を務め、のち右大臣に至った。
場面は母の供養の日の雨、場所は粟田口の家の持仏堂である。
直接の契機は、母の仏供養に兄弟姉妹が集まってしのんでいたとき、雨が降り出したことである。
粟田口は都の東、東山のふもとにある地で、東海道から都へ入る出入り口にあたる。
初句「誰もみな」は、集まった兄弟姉妹の誰もがみな、の意である。
二句「涙の雨に」の「涙の雨」は、雨のように流れる涙である。詞書の「雨かきくらし」を受け、涙と実際の雨とを重ねる。
三句「せきかねぬ」の「せく」は、流れをせき止める意で、「かぬ」は、…しかねる、の意である。涙をせき止めかねている、の意となる。ここで三句切れとなる。
四句「空もいかがは」の「いかがは」は反語で、どうして…であろうか、の意である。
結句「つれなかるべき」の「つれなし」は、素知らぬ顔である、平気である意である。人々がみな泣いているのに、空だけが平然としていられようかと、雨の降るのを空も泣いているものと見る。前歌の第八百四十一首が師の一周忌の涙を詠んだのに続き、ここでは母の供養の日の涙を詠み、人の涙と空の雨とを結びつける。
はらから:兄弟姉妹
かきくらす:空を暗くする
せく:流れをせき止める
- 作者
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藤原忠経
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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