ありし世にしばしも見ではなかりしを
あはれとばかり言ひてやみぬる
- 歌の意味
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生きていたころには、しばらくの間も会わずにはいられなかったのに、亡くなった今は、ああ悲しいと言うだけで終わってしまうことだ。
- 鑑賞
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巻第八 哀傷歌 845
詞書「能因法師身まかりてのち詠み侍りける」
身近な人の死を嘆く一連の二首目である。生前は少しの間も会わずにはいられなかったのに、今はああと言うばかりで終わってしまうと詠む。詞書によれば、能因法師が亡くなった後に詠んだ歌である。
作者は中納言藤原兼隆の子で、讃岐守などを務めた歌人である。「能因法師」は俗名を橘永愷といい、出家して諸国の歌枕を訪ね歩いた歌人である。
場面は能因の没後、場所は記されていない。
直接の契機は、親交のあった能因の死である。
初句「ありし世に」は、生きていたころに、の意である。
二句「しばしも見では」の「しばし」は、少しの間、の意である。「で」は打消の接続で、少しの間も会わないでは、の意となる。
三句「なかりしを」の「を」は逆接で、いられなかったのに、の意である。二句と合わせて、生前は少しも会わずにはいられなかった親しさをいう。
四句「あはれとばかり」の「あはれ」は、ああ、という嘆きの声である。「ばかり」は限定で、ああと言うだけで、の意である。
結句「言ひてやみぬる」の「やむ」は、終わる意である。「ぬる」は完了の連体形で、余情を残して結ぶ。あれほど親しく会っていた人も、死んでしまえばああと嘆くことしかできないという。前歌の第八百四十四首が亡き子の形見の香を詠んだのに対し、ここでは嘆きの言葉のほかに何も残らない空しさを詠む。本巻の第八百二十三首で能因が大江嘉言の死を悼んでいたのに対し、ここでは能因自身が悼まれる側となる。
みまかる:亡くなる
やむ:終わる
- 作者
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藤原兼房
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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