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悔しくぞ後に逢はんと契りける
今日を限りと言はましものを

歌の意味
悔しいことに、また後で会おうと約束してしまった。今日が最後だと言えばよかったのに。
鑑賞
巻第八 哀傷歌 854

詞書「病に沈みて久しくこもりゐて侍りけるが、たまたまよろしくなりて、内に参りて、右大弁公忠蔵人に侍りけるに逢ひて、又明後日ばかり参るべき由申して、まかり出でにけるままに、病重くなりて限りに侍りければ、公忠朝臣に遣はしける」
 古い時代の歌人による哀傷歌の一連の六首目である。悔しいことに後で会おうと約束した、今日が最後と言えばよかったのにと詠む。詞書によれば、長く病に臥せってこもっていたが、たまたま具合がよくなったので宮中に参り、当時蔵人であった公忠に会って、また明後日ごろ参りますと言って退出したところ、そのまま病が重くなって最期となったので、公忠に贈った歌である。
 作者は平安時代前期の官人で、右近衛少将を務めた。「右大弁公忠」は源公忠で、光孝天皇の孫にあたり、のちに右大弁を務めた。このときは蔵人であった。三十六歌仙の一人である。
 場面は作者の病が重くなって最期を迎えたころ、場所は記されていない。
 直接の契機は、公忠との約束を果たせないまま病が重くなり、最期を悟ったことである。

 初句「悔しくぞ」の「ぞ」は強意の係助詞で、三句の「ける」と連体形で結ぶ。悔しいことに、の意である。
 二句「後に逢はんと」の「ん」は意志で、また後で会おう、の意である。詞書の「又明後日ばかり参るべき」を受ける。
 三句「契りける」の「契る」は、約束する意である。ここで三句切れとなる。
 四句「今日を限りと」の「限り」は、最後の意である。
 結句「言はましものを」の「まし」は反実仮想、「ものを」は逆接の詠嘆で、言えばよかったのに、の意である。果たせない約束をしてしまった悔しさを、死を前にした自分の側から詠む。本巻の第八百二十三首で能因が、大江嘉言が命を知っていたら約束しなかったであろうと詠んだのと、果たせぬ約束を悔やむ点で対応する。前歌の第八百五十三首までの残された者の歌に対し、ここでは去ってゆく者の側から詠まれる。

こもりゐる:家にこもって暮らす
くらうど:天皇の側近として雑事を務める官
ちぎる:約束する
かぎり:最後、命の終わり
作者
藤原季縄
出典
新古今和歌集
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