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忘れなむ世にも越路のかへる山
いつはた人に逢はむとすらむ

歌の意味
きっと忘れてしまうに違いない間柄であっても、越路にある帰山の名のように帰って来て、いつまたあの人に逢おうとするのだろうか。
鑑賞
巻第九 離別歌 858

詞書「題しらず」
 遠国へ下る人を送る一連の二首目である。越路の帰山と五幡という越前国の地名に、帰ることと再び逢うことを重ね、別れた人といつまた逢えるのかと思いやる。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
 作者は伊勢守藤原継蔭の娘で、宇多天皇の中宮温子に仕えた平安時代前期の女流歌人である。
 場面は越路へ向かう人との別れのとき、場所は詠み込まれた越前国の帰山と五幡に寄せて示される。
 直接の契機は伝わらない。
 帰山は越前国の歌枕で、現在の福井県南越前町のあたりの山であり、「帰る」を掛けて詠まれる。五幡も越前国の地名で、現在の福井県敦賀市にあたり、「いつはた(いつまた)」を掛けて詠まれる。

 初句「忘れなむ」は、きっと忘れてしまうだろう、の意である。完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に推量の「む」が付き、忘れることが避けられないという諦めを先に示して歌を起こす。
 二句「世にも越路の」の「世」は、人と人との間柄を指す。「越路」は北陸道のことで、別れた人が向かう遠い道を示す。
 三句「かへる山」は越前国の帰山で、「帰る」の意を掛ける。遠くへ去る別れの歌でありながら、地名によって帰ることを呼び起こしている。
 四句「いつはた人に」の「いつはた」は、いつまた、の意に越前国の地名五幡を掛ける。帰山と五幡は、越前国の地名として組み合わせて詠まれることが多い。
 結句「逢はむとすらむ」は、逢おうとするのだろうか、の意で、疑問の「いつ」を受けて推量の「らむ」で結ぶ。前歌が形見の衣で別れを受け止めたのに対し、本歌は再会の時を問う形をとっている。

こしぢ:北陸道、また越の国へ向かう道
かへるやま:越前国の歌枕の帰山に、帰るの意を掛ける
いつはた:いつまた、の意に、越前国の地名五幡を掛ける
作者
伊勢
出典
新古今和歌集
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