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見てだにも飽かぬ心を玉鉾の
みちのおくまで人の行くらむ

歌の意味
目の前に見ていてさえ飽き足りない思いであるのに、どうして道の奥の陸奥国まで、あの人は行ってしまうのだろう。
鑑賞
巻第九 離別歌 861

詞書「陸奥国に下り侍りける人に」
 遠国へ下る人を送る一連の五首目である。そばで見ていてさえ飽き足りない思いであるのに、あの人は道の奥の陸奥国まで行ってしまうのかと嘆く。詞書によれば、陸奥国へ下る人に贈った歌である。
 作者は平安時代前期の歌人で、『古今和歌集』の撰者の一人であり、『土佐日記』を著した。
 場面は陸奥国へ下る人との別れのとき、場所は都である。
 直接の契機は、陸奥国へ下る人との別れである。

 初句「見てだにも」は、見ていてさえも、の意で、副助詞「だに」が軽いものを挙げて重いものを類推させる。そばにいてさえ満たされない思いを先に示す。
 二句「飽かぬ心を」は、飽き足りない心であるのに、の意で、「を」は逆接の働きをする。まして遠く離れればどれほどであろうかという思いが込められている。
 三句「玉鉾の」は「道」にかかる枕詞である。本巻の第八百五十七首の初句と同じ枕詞であり、陸奥国へ下る人を送る二首が同じ語で結ばれている。
 四句「みちのおくまで」は、道の奥まで、の意に陸奥国を掛ける。陸奥国は「道の奥」の意を名に持つ国で、都から最も遠い地であることが地名そのものに示されている。
 結句「人の行くらむ」は、あの人は行くのだろうか、の意で、原因推量の「らむ」が、なぜそれほど遠くまでという嘆きを表す。衣や便りに思いを託した前の歌々と異なり、ここでは行き先の遠さそのものが嘆きの対象となっている。

たまほこ:道にかかる枕詞
みちのおく:道の奥の意に、陸奥国を掛ける
あく:満ち足りる、十分に満足する
作者
紀貫之
出典
新古今和歌集
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