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天の川空に消えにし船出には
我ぞまさりて今朝は悲しき

歌の意味
天の川の空に消えていった船出の別れよりも、私の方がまさって今朝は悲しい。
鑑賞
巻第九 離別歌 873

詞書「老いたる親の七月七日筑紫へ下りけるにはるかに離れぬることを思ひて八日暁追ひて船に乗る所に遣はしける」
 遠い旅に出る人との別れを詠む一連の三首目である。七夕の夜が明けて天の川の空に消えた船出の別れよりも、筑紫へ下る老いた親と別れる自分の方が今朝は悲しいと詠む。詞書によれば、老いた親が七月七日に筑紫へ下ったので、遠く離れてしまうことを思い、八日の暁に船に乗る所へ追って届けた歌である。
 作者は平安時代中期の女房である。
 場面は七月八日の暁、場所は親が筑紫へ向けて船に乗る所である。
 直接の契機は、老いた親が七月七日に筑紫へ下ったことである。
 七月七日は七夕で、天の川を隔てた牽牛と織女の二星が年に一度逢うとされ、和歌では牽牛が舟で天の川を渡ると詠まれた。

 初句「天の川」は七夕の天の川であり、詞書の七月七日を受ける。
 二句「空に消えにし」は、空に消えていった、の意で、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に過去の助動詞「き」の連体形「し」が付く。逢瀬を終えた二星の舟が明け方の空に見えなくなったことを示す。
 三句「船出には」は、その船出に比べては、の意で、「には」が比べる基準を示す。天の川の舟の別れと、筑紫へ向かう親の船出とが重ねられている。
 四句「我ぞまさりて」は、私の方がまさって、の意で、係助詞「ぞ」が自分の悲しみを強く取り立てる。
 結句「今朝は悲しき」は、「ぞ」を受けて連体形「悲しき」で結ぶ。今朝は詞書の八日の暁にあたり、年に一度は逢える二星の別れよりも、再会を期しがたい老親との別れの方が悲しいという思いである。本巻の第八百七十一首が親から旅立つ子へ贈った歌であるのに対し、本歌は子から旅立つ親へ贈った歌であり、親子の立場が反転している。

ふなで:船が港を出ること
あかつき:夜明け前のまだ暗いころ
作者
加賀左衛門
出典
新古今和歌集
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