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笹の葉はみ山もそよに乱るなり
我は妹思ふ別れ来ぬれば

歌の意味
笹の葉は山じゅうにそよそよと音を立てて乱れているようだ。けれども私はひたすら妻を思っている。別れて来てしまったので。
鑑賞
巻第十 羈旅歌 900

詞書は前の歌に続き「題しらず」
 万葉の時代の旅の歌を並べる一連の五首目である。笹の葉が山いっぱいにさやさやと乱れ鳴っているが、自分はひたすら別れて来た妻を思うと、旅立った後の心を詠む。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
 作者名は記されておらず、前歌に続いて柿本人麻呂の作である。柿本人麻呂は飛鳥時代の歌人で、持統天皇、文武天皇の時代に宮廷歌人として活躍し、後世に歌聖と仰がれた。
 場面は妻と別れて旅路についた時、場所は笹の生い茂る山道である。
 直接の契機は伝わらない。
 この歌は『万葉集』巻二に、人麻呂が石見国から妻に別れて上って来る時の歌の反歌として収められており、字句に小異がある。
 なお原文には「は」を「の」、「な」を「め」とする異本の注記があるが、ここでは本文と読み仮名の行に従い「は」「な」を採る。

 初句「笹の葉は」は、山道に生い茂る笹の葉をまず取り上げる。
 二句「み山もそよに」は、山じゅうにそよそよと、の意である。「み山」の「み」は美称の接頭語で、「そよ」は笹の葉の擦れ合う音を表す。
 三句「乱るなり」は、乱れ鳴っているようだ、の意である。「なり」は音によって推し量る助動詞で、目で見るのではなく、葉ずれの音で山の騒がしさをとらえている。ここで句が切れる三句切れである。
 四句「我は妹思ふ」は、けれども私はひたすら妻を思う、の意である。字余りの句で、外の騒がしさに対して「我は」と自分を強く打ち出している。本巻の第八百九十七首の初句「妹に恋ひ」と同じく、旅先で妻を思う心が詠まれる。
 結句「別れ来ぬれば」は、別れて来てしまったので、の意である。已然形に「ば」が付いて理由を表し、倒置によって思いの理由が最後に示される。前歌が「漕ぎ来れば」と都に近づく旅を詠んだのに対し、この歌は同じく「来」を用いながら、妻のもとから離れて来た旅を詠んでおり、旅の方向が反転している。

みやま:山の美称、奥深い山
いも:妻や恋人を親しんで呼ぶ語
作者
柿本人麻呂
出典
新古今和歌集
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