東路のさやの中山さやかにも
見えぬ雲居に世をや尽くさん
- 歌の意味
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東国への道にあるさやの中山ではないが、さやかにも、つまりはっきりとも見えない遠い雲のかなたで、私は一生を終えることになるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十 羈旅歌 907
詞書は前の歌に続き「題しらず」
平安時代の歌人による旅の歌を並べる一連の三首目である。東路のさやの中山の名のように、さやかにも見えない遠い雲のかなたで一生を終えるのだろうかと、遠い地へ向かう身の行く末を思う。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者の「壬生忠峯」は壬生忠岑である。平安時代前期の歌人で、『古今和歌集』の撰者の一人である。
場面は東国へ向かう旅の途中、場所は遠江国のさやの中山である。
直接の契機は伝わらない。
初句「東路の」は、都から東国へ向かう道の、の意である。
二句「さやの中山」は、遠江国にある峠で、東海道の難所として知られた歌枕である。ここまでが次の「さやか」を同じ音で導く序詞となっている。
三句「さやかにも」は、はっきりとも、の意である。二句の「さや」の音を受け、地名から心情へと転じる。
四句「見えぬ雲居に」は、はっきりとは見えない遠い雲のかなたに、の意である。「雲居」は雲のあるはるかな所を表し、行く先の見通せない遠い地を指す。
結句「世をや尽くさん」は、一生を終えることになるのだろうか、の意である。係助詞「や」を受けて推量の「ん」が連体形で結ばれる。前歌が「今日や越えなん」と一日の山越えを詠むのに対し、この歌は同じ「や」と推量の結びを用いながら、旅の果てに一生を終えるかという歳月の尺度で行く末を思っており、同じ旅の不安を別の尺度で詠んでいる。
あづまぢ:都から東国へ向かう道
くもゐ:雲のあるはるかな所、遠く隔たった所
つくす:終わりまで過ごす
- 作者
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壬生忠岑
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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