故郷の旅寝の夢に見えつるは
恨みやすらんまたと問はねば
- 歌の意味
-
故郷の人が旅寝の夢に現れたのは、私を恨んでいるからだろうか。あれきり再び便りもしないので。
- 鑑賞
-
巻第十 羈旅歌 912
詞書「亭子院御髪下ろして山々寺々修行し給ひけるころ御供に侍りて和泉国日根といふ所にて人々歌よみ侍りけるによめる」
旅の宿りを詠む一連の三首目である。故郷の人が旅寝の夢に現れたのは、あれきり便りもしない自分を恨んでいるのだろうかと、旅先で故郷を思う。詞書によれば、出家した亭子院の山々寺々での修行に供をし、和泉国の日根という所で人々が歌を詠んだ折の歌である。
作者の橘良利は、宇多天皇に仕えた平安時代前期の官人で、天皇の出家に従って自らも出家した。詞書の「亭子院」は宇多法皇である。
場面は宇多法皇の修行の旅の途中、場所は和泉国の日根である。
直接の契機は、日根で人々が歌を詠んだ折である。
この歌は『大和物語』第二段にも、法皇の修行に供をした良利の歌として見える。
初句「故郷の」は、故郷の、の意で、旅寝の夢に現れた人が故郷の人であることを示す。
二句「旅寝の夢に」は、旅先で寝た夜の夢に、の意である。前歌の「旅寝やすらん」を受けて、旅寝の夜の夢へと移る。
三句「見えつるは」は、見えたのは、の意である。相手が自分を思っていれば夢に現れるとされたことから、故郷の人が夢に見えたのは、その人が自分を思っているためと考えている。本巻の第九百四首が「夢にも人に逢はぬ」と嘆いたのに対し、この歌では故郷の人が夢に見えており、夢に人を見る見ないが対をなす。
四句「恨みやすらん」は、恨んでいるのだろうか、の意である。係助詞「や」を受けて「らん」が連体形で結ばれる。夢に現れるほど思う心を、恨みの心と推し量っている。
結句「またと問はねば」は、あれきり再び便りをしないので、の意である。已然形に「ば」が付いて理由を表す。本巻の第九百八首が、便りをくれない相手を「問ふを聞かねば」と恨む歌であったのに対し、この歌は便りをしない自分が恨まれているかと思う歌であり、同じ「ねば」の結びで、恨む側と恨まれる側が反転している。
ていじのゐん:宇多法皇の院号
みぐしおろす:髪を剃って出家する
とふ:訪ねる、便りをして安否を尋ねる
- 作者
-
橘良利
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-