古典和歌stream

野辺の露浦わの波をかこちても
行方も知らぬ袖の月影

歌の意味
袖の濡れるのを野辺の露や浦の波のせいにしてみても、行方も知れない旅の身の、涙に濡れた袖に映る月の光であることよ。
鑑賞
巻第十 羈旅歌 935

詞書は前の歌に続き「守覚法親王家に五十首歌よませ侍りける旅歌」
 旅の月を詠む一連の六首目である。袖の濡れるのを野辺の露や浦の波のせいにしてみても、行方も知れぬ旅の身の袖には涙に月が映ると、野や浦を行く旅の悲しみを詠む。詞書によれば、守覚法親王の家で詠まれた五十首歌のうちの旅の歌である。
 作者の藤原家隆は、鎌倉時代初期の歌人である。『新古今和歌集』の撰者の一人である。
 場面は野や浦を行く旅の夜、場所は野辺と浦辺を経てゆく旅路である。
 直接の契機は、守覚法親王の家で詠まれた五十首歌の、旅の題である。守覚法親王は後白河天皇の皇子で、仁和寺の門跡である。

 初句「野辺の露」は、野を行く旅で袖を濡らす露、の意である。
 二句「浦わの波を」は、浦辺を行く旅で袖を濡らす波を、の意である。初句の野と並べて、陸の旅と水辺の旅を対にしている。
 三句「かこちても」は、そのせいにしてみても、の意である。袖の濡れる本当の理由が涙であることを、裏から示す。
 四句「行方も知らぬ」は、これから先の行方も分からない、の意である。旅の身の定めなさが示される。
 結句「袖の月影」は、涙に濡れた袖に映る月の光、の意で、体言止めで結ばれる。前歌の結句「跡の月影」と同じく「月影」で結ばれ、二首が並べられている。本巻の第九百二十四首が山路の木々の雫に濡れ、第九百二十六首が丸屋にかかる白波を詠んだのを受け、露と波に濡れる旅がここで涙に濡れる袖へとまとめられている。

うらわ:浦の入り組んだ所、海辺
かこつ:他のせいにする、口実にする
作者
藤原家隆
出典
新古今和歌集
その他の歌