明けばまた越ゆべき山の峰なれや
空行く月の末の白雲
- 歌の意味
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夜が明けたら、また越えなければならない山の峰なのだろうか。空を渡ってゆく月の行く手にかかっている白雲は。
- 鑑賞
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巻第十 羈旅歌 939
詞書「五十首の歌奉りし時」
旅の月を詠む一連の十首目である。空を渡る月の行く手にかかる白雲は、夜が明ければまた越えねばならぬ山の峰なのだろうかと、明日の旅路を思う。詞書によれば、五十首歌を奉った時の歌である。
作者の「家隆朝臣」は藤原家隆である。鎌倉時代初期の歌人で、『新古今和歌集』の撰者の一人である。
場面は旅の夜更け、場所は月の行く手に白雲のかかる山を望む旅の宿りである。
直接の契機は、後鳥羽院に五十首歌を奉った折の詠である。
初句「明けばまた」は、夜が明けたならばまた、の意である。未然形に「ば」が付いて仮定を表し、明日もまた続く旅を思う。
二句「越ゆべき山の」は、越えなければならない山の、の意である。本巻の第九百六首の「今日や越えなん」と同じく、越えるべき山を前にした旅人の心が詠まれる。
三句「峰なれや」は、峰なのだろうか、の意である。「や」は疑問を表し、ここで句が切れる三句切れである。
四句「空行く月の」は、空を渡ってゆく月の、の意である。月の進む方向が旅人の進む方向と重ねられる。
結句「末の白雲」は、行く手にかかる白雲、の意で、体言止めで結ばれる。倒置によって、峰かと見た白雲が最後に示される。本巻の第九百一首、第九百六首、第九百十五首に続いて、白雲が旅の隔たりを示す景として詠まれ、ここでは月の行く手にかかることで、明日の旅路の遠さが示されている。
すゑ:行く手、先の方
- 作者
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藤原家隆
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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