今日はまた知らぬ野原に行き暮れぬ
いづれの山か月は出づらん
- 歌の意味
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今日もまた、見知らぬ野原で日が暮れてしまった。どの山から月は出るのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十 羈旅歌 956
詞書は前の歌に続き「旅の歌とてよめる」
日暮れの旅路と宿を詠む一連の七首目である。今日もまた見知らぬ野原で日が暮れてしまった、どの山から月は出るのだろうと、土地の様子も分からぬ旅の日暮れを詠む。詞書によれば、旅の歌として詠まれた。
作者の源家長は、鎌倉時代初期の官人で歌人である。後鳥羽院に仕え、和歌所の事務を担い、『源家長日記』を著した。
場面は旅の日暮れ、場所は見知らぬ野原である。
直接の契機は「旅」を題として詠んだことである。
初句「今日はまた」は、今日もまた、の意である。本巻の第九百三十九首の「明けばまた」が明日の旅を思ったのに対し、ここでは今日も繰り返された旅の一日を振り返る。
二句「知らぬ野原に」は、見知らぬ野原で、の意である。本巻の第九百四十四首の「知らざりし」と同じく、旅先の土地の見知らなさが示される。
三句「行き暮れぬ」は、行く途中で日が暮れてしまった、の意である。完了の「ぬ」で言い切る三句切れで、本巻の第九百五十首の「日は暮れにけり」と同じく、旅路での日暮れが詠まれる。
四句「いづれの山か」は、どの山から、の意である。係助詞「か」による疑問で、結句の「らん」が連体形で結ばれる。見知らぬ土地では月の出る方角さえ分からないことを示す。
結句「月は出づらん」は、月は出るのだろうか、の意である。日暮れの後の月を待つ心が示される。旅の月の一連を受けながら、ここでは月の出る山も知れない土地の心細さが詠まれている。
ゆきくる:行く途中で日が暮れる
- 作者
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源家長
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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