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世の中は憂きふし繁し篠原や
旅にしあれば妹夢に見ゆ

歌の意味
世の中はつらいことが多い。篠原の篠の節が繁いように。旅の身であるので、妻が夢に現れる。
鑑賞
巻第十 羈旅歌 976

詞書「述懐百首歌よみ侍りける中に旅歌」
 旅の述懐を詠む一連の三首目である。世の中は篠の節のようにつらいことが多い、旅の身であるので妻が夢に見えると、世の憂さと旅の思いを重ねて詠む。詞書によれば、述懐百首を詠んだうちの旅の歌である。
 原文には作者名が記されていない。前歌の源頼朝から続くようにも見えるが、詞書の「述懐百首」は藤原俊成が若い頃に詠んだ百首歌であり、この歌は藤原俊成の作である。藤原俊成は平安時代後期から鎌倉時代初期の歌人で、『千載和歌集』を撰進し、藤原定家の父である。
 場面は旅の夜、場所は篠原の広がる旅路である。
 直接の契機は、藤原俊成が詠んだ述懐百首の旅の題による詠である。

 初句「世の中は」は、世の中は、の意である。旅の歌でありながら、まず世の憂さを取り上げる述懐の歌である。
 二句「憂きふし繁し」の「ふし」には、つらい事柄を表す「憂き節」と、篠竹の「節」が掛けられている。「繁し」は多い意で、篠の節の多さと世のつらさの多さを重ねている。ここで句が切れる二句切れである。
 三句「篠原や」は、篠竹の生い茂る原よ、の意である。助詞「や」は詠嘆を表す。二句の「ふし」の縁語として置かれ、旅の景へと転じる。本巻の第九百五十七首の「小野の篠原」に続き、篠原が詠まれる。
 四句「旅にしあれば」は、旅の身であるので、の意である。「し」は強意の助詞である。本巻の第九百七十二首の「我が身にしあれば」と同じ形で、旅の身の理由を示す。
 結句「妹夢に見ゆ」は、妻が夢に現れる、の意である。本巻の第九百十二首で故郷の人が旅寝の夢に見えたのと同じく、旅の夢に家の人が現れる。本巻の第九百四首が夢にも人に逢わないと嘆いたのに対し、ここでは妻が夢に見えており、夢で逢う歌の系列に連なっている。

うきふし:つらい事柄の意の「憂き節」と、篠竹の「節」を掛ける
いも:妻や恋人を親しんで呼ぶ語
作者
藤原俊成
出典
新古今和歌集
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