- 歌の意味
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竜田山を秋に越えてゆく人の袖を見よ。紅に染まっているが、木々の梢は時雨に濡れて染まったのではなかったのだ。
- 鑑賞
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巻第十 羈旅歌 984
詞書は前の歌に続き「詩を歌に合はせ侍りしに山路秋行といへることを」
旅路の夢と袖を詠む一連の五首目である。竜田山を秋に行く人の袖を見よ、木々の梢を染めたのは時雨ではなく旅人の涙であったと、紅葉の山路を行く旅の悲しみを詠む。詞書によれば、漢詩と和歌を合わせた催しで「山路秋行」の題で詠まれた。
作者の慈円は、関白藤原忠通の子で、天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。
場面は秋の山越え、場所は大和国の竜田山である。
直接の契機は、漢詩と和歌を合わせて競う詩歌合での「山路秋行」の題による詠である。
初句「竜田山」は、大和国の歌枕で、紅葉の名所として詠まれる山である。
二句「秋行く人の」は、秋に山路を行く旅人の、の意である。題の「山路秋行」をそのまま詠み込んでいる。
三句「袖を見よ」は、袖を見よ、の意である。命令形で言い切る三句切れである。前歌の袖に続き、旅人の袖が詠まれる。
四句「木々の梢は」は、木々の梢は、の意である。紅葉した竜田山の梢が示される。
結句「時雨ざりけり」は、時雨に染められたのではなかったのだ、の意である。紅葉は時雨によって色づくとされたが、ここでは梢を染めたのは時雨ではなく、旅人が袖を濡らす紅の涙であったと、通念に理屈を差し向けている。気づきの「けり」で結ばれる。前歌が袖に宿る月を涙に問うたのに続き、この歌は涙に染まる袖を人に見よと示しており、旅路の袖の歌を結んでいる。
こずゑ:木の枝の先
しぐる:時雨が降る
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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